法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

〔草稿2〕〈怒り〉という感情

人生の中で体験することは膨大です。そのすべてを公案として取り組むことは、私の能力を遥かに超えています。どこかに焦点を定めないと、発散してしまいかねません。

そこでまずは〈怒り〉という感情に焦点を当てることにしました。〈怒り〉は『私』の中にありながら、『私』のコントロールを離れています。むしろ、『私』が〈怒り〉にコントロールされているように感じることが多々あるくらいです。

一方、世間では〈怒り〉は正義の象徴とされ、〈怒り〉の強さがそのまま正当性の証明になっていると考えられているように思います。しかし、私自身の生まれてこの方の体験を思い出してみると、〈怒り〉を振りかざす行為に対して悪い印象しか見当たりません。

はたして〈怒り〉とは何でしょうか。どのようなときに発生するのでしょうか。『私』が飲み込まれない程度にまで、〈怒り〉を小さくすることはできるでしょうか。『私』と〈怒り〉はどのような関係にあるのでしょうか。

本章では、〈怒り〉という感情について少しずつ理解を深めていった過程を紹介したいと思います。