法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

同じタイプの人たちが役割分担して磨きあう

(1)生きる目的

この世で生きる目的は人それぞれではないかと思います。

立身出世したい、人並みに暮らしたい、世の中に尽くしたい、この世を楽しみたい、この世の謎を解きたい、家族を大切にしたい、大自然を満喫したい、などなど。

きっと目的は一つではないと思います。それぞれの人が抱く生きる目的は、大きく分けると次のように分類できるのではないかと思います。

  1. 自分のための目的
  2. 人様のための目的
  3. 世界のための目的

どの分類が多くて、どの分類が少ないかは、人それぞれではないかと思います。また、年齢が進むにつれて心境が変わって、目的の構成も変わってくるのではないかと思います。


(2)正直ベース

目的を分類するときは正直に行ってください。

例えば、「世の中に尽くしたい」という目的の本心が「有名になりたい」であれば、自分のための目的としてください。同様に、「困っている人を助けたい」という目的の本心が「自分の評判を高めたい」であれば、自分のための目的としてください。

この世で生きる目的を正直に分類した結果、自分のための目的がズバ抜けて多い人は、もしかしたら生きることに大変な苦しみを抱えておられるかもしれません。大変失礼ながら、この世を広く見渡しているつもりでいても、実は自分のことしか考えてないからです。人様や世界が、自分の目的を達成するための道具にすぎなくなっているからです。


(3)存在自体が悪

何を隠そう、私こそがまさに、自分のための目的がズバ抜けて多い人です(笑)

私は自己否定の心が猛烈に強い人です。今年の 4/7(水) の投稿に書いた「自分の嫌いなところを見つけるためのワーク」は、私自身も十数年前に何度も行いました。そのワークを通して浮かび上がってきたのは、「存在自体が悪だ」「悪魔だ」という言葉でした。私は私自身のことをそんな風に思っていることがわかりました。

どうやら、その思いを否定するために、人様や世の中に貢献したいと思っているようでした。しかし、そのような不純な動機で貢献しようとしても、自分勝手な論理での貢献にしかならず、却ってご迷惑をおかけするのが精一杯なようでした…


(4)悪魔に見える

先日 8/18(水)〜8/19(木) の投稿で書いた、極端な二面性を持つ人たちも、おそらくは自己否定が強烈に強い人たちだと思います。彼らは身の回りの人たちが悪党・悪魔に見えて仕方がないのではないかと思います。

すなわち、私は自分のことを悪魔だと思っていて、彼らは周りの人たちのことを悪魔だと思っている…

潜在意識のレベルでは、一人称が悪魔か、二人称・三人称が悪魔かの違いはたいした違いはないと思います。したがって、彼らと私は同じタイプの人たちなのです。相性バッチリなのです。そのため私は、彼らのようなタイプの人たちとたくさんご縁をいただいて、同じような体験をたくさんさせていただいたのではないかと思います。そして、彼らを通して私の一面を見せてくださったのだと思います。

私の一面を見せられたからこそ、冷静な気持ちでいることができなかったのだと思います。その結果、他者に対する攻撃的な気持ちが生まれ、それが私自身の身体で2つの大きな病気として現実化したのではないかと思います。


(5)重要な公案

私は人生は神様から与えられた公案ではないかと思っています。

生まれてこのかたのたくさんの経験をしっかり見つめて、じっくり参究して、私の心の中にある大きな大きな自己否定の心を少しずつ小さくしていきたいと思います。そしていつの日か消してしまいたいと思います。そこまで進めば、誤動作も消えてなくなってくれることと思います。