法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

人は自分で作った物語の中で生きている

(1)物語を生きる

人は自分で作った物語の中を生きているのではないかと思うことがあります。

その物語の中で自分自身のキャラ設定をして、その設定通りに振る舞う。身の回りの人たちもキャラ設定をして、その設定を前提として付き合う。有名人もキャラ設定して、その設定を前提として見る。

そうやって自分で作った物語の中で生きていると、周りの人たちは無意識のうちに空気を読んで、本人が望むキャラ設定に合わせて応対してくれるのではないかと思うこともあります。

そんな風にお互いの物語を尊重し合うことで(空気を読み合うことで)、人間関係が潤滑に回っているのかもしれません。しかし逆に、生き辛さの大きな原因となっている人もいるかもしれません。

一人一人の物語は、その人の人間観や世界観に基づいて舞台設定されているのではないかと思います。「色眼鏡で見る」という表現は、自分の物語における舞台設定を前提として見ることを指しているのではないかと思います。

一人一人の心の中の声を聞いたことはありませんが、そんな風に思うことがあります。

※なお、ここでの「物語」は「アドリブ劇の舞台設定」のような意味です。


(2)一人一人の物語

一人一人の物語は、その人にとっての「当たり前」の認識から成り立っているのではないかと思います。理想の姿であったり、一所懸命に勉強した成果であったり、人生経験から得た教訓であったり… しかしその「当たり前」には願望・恐怖・誤解などが数多く含まれていたり、自分の都合・価値観・正義感・劣等感なども含まれていたりするので、客観的な事実とは大きく異なる部分がたくさんあるのではないかと思います。

そのため、本人は「当たり前」の世界を生きているつもりで「作り話なんて一切ない」と思っていても、傍目には「あの人の物語」や「この人の物語」の中で生きているように見えることがよくあるのではないかと思います。

毎日顔を合わせていても、毎日連絡を取り合っていても、お互いにまったく違う物語を生きているかもしれません。お互いの認識の齟齬が大きければ大きいほど、問題の原因となりやすいのではないかと思います。


(3)役柄と配役

一人一人の物語の中で自分自身のキャラを立てようと思ったら、脇役が必要になります。時には対立する役柄が必要になることもあると思います。

例えば、優秀な人物役を演じたい人は、平凡な人物役、愚鈍な人物役が欲しくなることと思います。あるいは、正義の味方役を演じたい人は、悪役、被害者役、雑兵役が欲しくなるのではないかと思います。物語が壮大になればなるほど、たくさんの役柄が必要になりそうです。

一人一人が作る物語は、その人にとっての「当たり前」から構成されているものの、客観的な事実とは大きく異なる部分が多々あると思います。同様に、物語の中の配役も、客観的な事実とは大きく異なる部分が多々あるのではないかと思います。妄想力の強い人ほど、物語や配役と現実の乖離が大きいように思います。乖離が大きいほど問題が起きやすいでしょうから、問題を起こしては悪役をどんどん増やしていくことになるのではないかと思います。


(4)自分のキャラ設定

現実との乖離が一番大きくなりそうなのは、自分自身のキャラ設定だと思います。

残念ながら、人は自分で思っているほどは優秀ではなかったり、善人ではなかったりすることが多いからです。本来であれば、研鑽して自分自身の能力を高めるべき局面だと思います。

ところが、もっとお手軽な手法を好む人をよく見かけます。例えば、権力者に取り入って覚えめでたくなったり、威厳ある態度をとって実力以上に高く見せたり、あるいは「ト書き」を朗読するかのように自分のことを針小棒大に宣伝したり… 中身を見ないで印象だけで判断する人が多いからこその手法ではないかと思います。

場合によっては、自分より優秀だったり善人だったりする人がいて、自分の物語が成り立たなくなってしまうことがあると思います。本来であれば、現実に合わせて物語を作り直すべき局面だと思います。ところが、物語を大切にして邪魔者を退場させようとする人もいるようです。例えば、邪魔者の信頼を失墜させるような妄想上の噂話を流したり、邪魔者の活動を妨害したり… おそらく、自己否定の心が強ければ強いほど自分の物語が攻撃されたと思って、激怒して反撃してしまうのではないかと思います。


(5)他人のキャラ設定

次に乖離が大きいのは、身の回りの人たちのキャラ設定です。

乖離の大きな理由は、人を正確に理解することはとても難しいため、ついつい空想を膨らませてしまうことにあるのではないかと思います。

しかし人は空想通りには行動してくれません。仮に空気を一所懸命に読んでくれる人であっても百点満点にはならないでしょうし、中には強烈な空気圧をかけると秘孔を突かれたかのように立ちすくんでしまう人もいるかもしれませんし、そもそも空気を読む気のない人もいるかもしれません。

そのような場合には、イソップ寓話『北風と太陽』のように、大きく分けて2種類の態度があるように思います。

太陽方式の人は、穏便に(あるいは情熱的に)話し合うことから始めます。そして、配役やキャラ設定を事実に近づけたり、やんわりと圧力をかけて忖度心を引き出したりしながら、妥協点を探ろうとするのではないかと思います。どうしても期待通りに動いてくれない場合は、モブキャラ扱い(エキストラ扱い)になることもあるようです。

北風方式の人は、力づくで従わせようとします。例えば、妄想上の悪い噂を流して四面楚歌にして精神的に追い詰めたり、心身の弱点を繰り返し攻めたり(=イジメ倒したり)、高圧的な態度に出て強制的に忖度を引き出そうとしたり、時には脅したり騙したり暴れたり… こんな風に道徳的にも法律的にも問題となる言動を平気で繰り返す人は、一方では権力者に上手に取り入って覚えめでたいことが多いため、被害を訴えると却って信用を失う結果になりがちなように思います。

北風方式の人は、どうしても期待通りに動いてくれない人を、稀代の悪党役にすることがあるようです。そのために、妄想上の酷い噂を広く流して社会的信用を失墜させる制裁を加えると同時に、自分はいかにもすばらしいことをしていたかのような妄想上の噂も流して悪行がバレないような対策も取るようです。

印象としては、北風方式の人は、妄想力の高い人(=自己否定の心が強い人)が多いように思います。自己否定の心の強い人は、自分の物語が攻撃されたと思って怒って反撃するからではないかと思います。


(6)物語ありき

本来、人はそれぞれすばらしい能力を持っていると思います。一人一人が持ち味を出し合えば、すばらしい成果を達成することができます。一人一人がキラキラと輝く場を作ることができたなら、まさに「打ち出の小槌」状態だと思います。

ところが、物語ありきになると事情が大きく変わります。

視野がとても狭くなって、人の能力を評価するモノサシが非常に偏ったものになってしまうからです。その結果、持ち味を出し合うことが実質的にできなくなるどころか、足の引っ張り合いになってしまうように思います。

偏狭なモノサシを持つ人ほど、研鑽の仕方も偏っている人が多いように思います。そのためか、知識が古くて、理解が浅くて、間違いが多くて、結果的に能力が低い人が多いように思います。そのような人が他人を評価すると、自分より優秀な人ほど恐ろしく低く評価して、逆に自分に従順な人ほど高く評価する傾向があるように思います。自分に従順な人の中でも、空威張りが得意な人を非常に高く評価する傾向もあるように思います。そのため、彼らがリーダーになると、組織の天地がひっくり返ってしまいます。

したがって、一人一人が偏狭さを手放すことはとても重要なことだと思います。そのためには、物語ありきの姿勢を手放すことが重要になると思います。物語はできるだけ穏やかなものにして、できれば物語自体を手放した方がよいと思います。


(7)配役ありき

ところで、身の回りの人たちの配役やキャラ設定については、身近な人たちで共有する必要があります。

そこで、噂話を通して共有したり、応対時の態度から周りの人に読み取ってもらおうとしたりしているようです。特殊なキャラ設定の場合は、感情をあらわにして啖呵(たんか)を切ったり見得(みえ)を切ったりすると、信じてもらいやすくなるようです。

そうやって共有された配役やキャラ設定は、簡単には変えられないようです。

例えば、スゴイ人役に選ばれた人は実態と関係なくスゴイ人とされ、ヒドイ人役に選ばれた人は実態と関係なくヒドイ人とされてしまうように思います。他の配役も同様だと思います。配役が変更されるのは、役柄のイメージを大きく壊すような出来事があったときだけのように思います。

そのため、たまたま決まった配役で一生オイシイ思いをする人もいれば、一生クヤシイ思いをする人もいると思います。

こんな風に、実態とは関係なく配役が決まるのは、人の本質を見る目を持つ人が少ないからだと思います。人を表面的に見ることしかできないため、印象・経歴・立場など表面的な情報から判断するしかないのではないかと思います。目上の人に取り入るのが上手な人も高く評価される傾向があるように思います。

そのような訳で、まず配役を決めてから、配役の理由を後付けで掻き集めているように思います。

摩訶不思議な配役に苦しめられることのないようにするためにも、物語はできるだけ穏やかに、できれば物語をなくしてしまった方がよいと思います。


(8)サティヤ

私はサティヤ(Satya、真実語)を目標のひとつとしています。(インドの伝統的な五戒のひとつです)

サティヤの観点からは、事実に基づかない物語は捨てたいと思っています。ところが自分が作り出した物語は、自分自身ではなかなか気付くことができません。そこで心の中を観察しながら、事実に基づかないパーツを見つけるたびに、ひとつひとつ断捨離していきたいと思います。

いつの日か、ありのままに人やものを見れるようになりますように。

自転車で行ける範囲を少し広げたい

自動車に乗らないことにしてから、ちょうど3ヶ月経ちました。

自転車のお蔭で快適に暮らしています。夏の暑い期間は身体が一番元気なので、夏季限定で自転車で行ける範囲を少し広げたいと思っています。発症前であれば、遠出のための体力や筋力をつけることを目標にしたと思います。しかし今は、どんな工夫をすれば今の私でも目的地まで往復できるか、という視点で考えています。

例えば、電動アシスト自転車の利点を活かして、軽いアップダウンのある道を選ぶと、距離が伸ばしやすくなります。上り坂は電動モーターのお蔭で脚力を使わずに済んで、下り坂は重力にまかせれば足を休ませることができるからです。上手にコースを選ぶと、少し足を動かしては休み、少し足を動かしては休み、の繰り返しになるので、足腰への負担が小さくなります。もしも上り坂が急で短くて、下り坂がゆるくて長い道を選ぶことができると、さらに楽になります(往復で別コースを走ることになります)。

こんな風に工夫を重ねながら、無理のない範囲で、少しずつ距離を伸ばしていきたいと思います。

キングサイズ・ベッド

私は板の間にイグサ・カーペットを敷いた部屋で暮らしています。そのため、見た目は和室です。普段は布団を敷いて寝てますが、暑くなってからはカーペットの上でゴロ寝してます。枕も使いません。喩えるならキングサイズ・ベッドで寝ているようなものです。かなりの贅沢感があります(笑)

もしも大宇宙コンピュターがあったとしたら…

(1)量子コンピュータ

現代のコンピュータが扱うデータは、0か1の値を取る「ビット」の組み合わせでできています。ビットの組み合わせにプログラマが意味を与えて、その意味に基づいて演算することで、様々な処理が実現されています。最近のAIでよく聞く深層学習(ディープ・ラーニング)で扱うデータも、ビットの組み合わせでできています。

現在研究段階にある量子コンピュータが扱うデータは、0かもしれないし1かもしれないという「量子ビット」の組み合わせだそうです。現代のコンピュータでは計算時間がかかり過ぎて実質的に解けない問題でも、量子コンピュータ向けの特殊なアルゴリズムを使うとあっという間に解ける問題がたくさんあるそうです。

もしかしたら、量子コンピュータは驚愕の未来を切り開くかもしれません。


(2)大宇宙コンピュータ

人間の脳は、脳細胞のネットワークでできたニューロ・コンピュータと考えることができるようです。化学物質や電気信号の交換によるネットワークかもしれませんし、もしかしたら量子レベルでの情報交換も行われているかもしれませんし、ひょっとしたら未知の原理による情報交換も行われているかもしれません。本当は人間の脳は、人間の理解を超えたアーキテクチャを持ち、人間の理解を超えたアルゴリズムが走っているかもしれません。人工のニューラル・ネットワークとは一味違うだけでなく、人間の想像力を遥かに超えた高機能・高性能な存在なのかもしれません。

大自然も大宇宙も、生き物のつながり、物質のつながり、エネルギーのつながりなどでできています。もしかしたらどちらも、人間の理解を遥かに超えた動作原理とアーキテクチャを持ち、人間の理解を遥かに超えたアルゴリズムが動作する、超巨大コンピュータとしても働いているかもしれません。

ひょっとしたら私たち人間は、一人一人が超高性能なバイオ・コンピュータであると同時に、超巨大な大宇宙コンピュータの一部でもあるのかもしれません。また、大宇宙コンピュータを超巨大クラウドとして使いこなしているのかもしれません。


(3)超リアルな三次元CG

思いは現実化する、という考え方があるそうです。

→ 希望する未来の姿を心の中で詳細に思い描いて、その実現を祈る。その瞬間に、思いの実現に向けてベストな手順が計算されて、実行に移される。実現までの過程には、楽しいこともあれば、苦しいこともある。やがて希望した通りの姿で実現する(雑念や妄念や不安も含めてすべてそのまま実現する)。

そんな考え方です。日々実感されている方もいらっしゃるようです。(残念ながら私にはわかりませんが…)

もしも大宇宙が超高機能で超高性能な超巨大コンピュータであるならば、一人一人の希望を同時にすべて実現するためのベストな手順を瞬時に計算して、粛々と実行することは難しいことではないのかもしれません。もしかしたら、一人一人が新たな希望を抱くたびに全ての手順を瞬時に計算し直して、粛々と実行しているのかもしれません。

そしてこの世は、大宇宙コンピュータに接続された超リアルな3D表示装置かもしれません。私たちは、大宇宙コンピュータの表示内容を五感で受け取りながら、一喜一憂しているのかもしれません。

私たちの入力(感覚)も出力(言動)もすべて大宇宙コンピュータに直接つながっているとしたら、大宇宙コンピュータの働きで一人一人の希望が寸分の狂いもなく現実化されることは、そんなに難しいことではないかもしれません。


(4)優秀なプレイヤー

仮にこの世が大宇宙コンピュータの高性能な表示装置であり、かつ操作装置でもあるならば、もしも大宇宙コンピュータの優秀なオペレータになることができたなら、思いのままの人生を送ることができるかもしれません。

では、どうすれば大宇宙コンピュータの優秀なオペレータになることができるでしょうか?

まずは、人間の入出力装置や演算装置を整える必要があると思います。人間の入力装置には、五感(および五蘊)が挙げられます。演算装置は人間の意識であり、出力装置は言動や祈り(=身口意)だと思います。これらをオーバーホールすることが重要ではないかと思います。

すなわち、何のノイズもなく入力を受け取って、何のノイズもなく演算して、何のノイズもなく出力する。言い換えると、常にありのままに受け取って、希望と寸分の狂いもなく汚れもなくイメージして、委細漏らさず祈る。一旦祈ったら、間違ってプログラムを変更することのないよう、すべてを大宇宙コンピュータにまかせて忘れてしまう。これができる人が、優秀なオペレータではないかと思います。

この世はすべてあなたが希望した通りだとすると、目の前にいる人も、身の回りにある物も、すべてはあなたが希望した通りに現れています。あなたの分身であるとも言えると思います。仮に希望通りとは思えない部分があるとしたら、それはイメージする際に間違えたことを意味していると思います。その間違いも含めて、あなたの分身です。いずれの場合も、あなたの分身であると同時に、あなた自身の現れとも言えます。目に見えること、耳に聞こえること、そのほか五感で感じることはすべて、あなた自身の現れです。

大宇宙コンピュータはあまりに高性能で、人間がイメージした通りに、寸分の狂いもなく実現してくれます。本当にありがたいことだと思います。ただし、間違いも含めて実現してくれます。また、怒りや悲しみを強く反芻すると、それを強い祈りとみなして、そのまま実現してくれます。したがって、人間のありのままの姿を映し出す鏡としても機能します。優秀なオペレータになりたいものだと思います。


(5)妄想科学

あまりに暑いので、こんなことを妄想してみました。

ご推察通り、Non-Science Fiction です。アホですいません…

潜在能力と五戒

(1)リハビリ

私は後遺症のため、顕在意識の回転力がかなり低いです。

例えば文章を書くにしても、内容から表現まで顕在意識だけで考えて書こうとすると、なかなか前に進みません。しかも、どう頑張っても、内容が薄くて、まとまりも悪くて、分かりにくい文章になってしまいます。また、比較的短い文章しか書けません。(用件を伝えるために文章を書くときは、このタイプの作文になることが多いです)

毎日のリハビリ作文では、潜在意識から上がってくるものを文章化するようにしています。文章のテーマも構成も潜在意識まかせにすると、私自身が読み返したくなるような文章が出てくることがよくあります。文章のテーマを顕在意識で選んだ場合も、そこそこの内容になります。いずれの場合も、リハビリ作文の目的にかなう長さの文章が書けます。(潜在意識にまかせると、どうやら一番の読者である私に向けた文章になるようです)

時々取り組んでいるプログラミングのリハビリも同様で、顕在意識でできることは限られています。そこで、顕在意識は大きな方向性を決めるだけにして、具体的な作業手順は潜在意識にまかせることにしています。潜在意識から浮かび上がってくる作業をひとつひとつ順番にこなしていると、ゆっくりながら着実に作業が進んでいきます。おそらく、潜在意識のどこかに潜んでいる「昔取った杵柄」くんにつながっているのではないかと思います。(ただし、作業速度は発症前とは比較にならないくらい遅いです…)

昨年8月上旬頃から取り組んでいるソリティア(正式名クロンダイク)は、顕在意識の思考能力を少しでも高めることを目的としています。比較的単純な思考しか必要としないので、私でも取り組めます。以前取り組もうとしていた囲碁は、私の顕在意識には複雑度が高すぎるので、潜在意識に上手に頼らないと思考できなさそうでした。(今は囲碁はほぼ放棄してます…)

そのような訳で、私は顕在意識の回転力が低いので、頭脳作業は潜在意識にまかせることが多いです。


(2)顕在意識と潜在意識

私の日々の実感として、顕在意識よりも潜在意識の方が、遥かに高い能力を持っています。

前述のように、私は後遺症の影響で、顕在意識でできることはほんの少しです。この三次元世界を舞台に、五感で感じる、表現を具体化する、行動方針を決める、くらいです。(最近は、単純思考なら多少はできます)

それ以外のこと、特に複雑度の高いことは潜在意識にまかせるしかありません。例えば、思考・感情・記憶、などです。潜在意識の中では、穏やかなことから荒々しいことまで、いろいろなものがうごめいています。また、様々な分野の「昔取った杵柄」くんや、「ちょっと体験したことあるよ」さんが潜んでいます。どこにつながるかによって、取り出せること(できること)が全然違います。

潜在意識からどのような能力を引き出せるかは、顕在意識のあり方によるところが大きいです。そのため、私の顕在意識から雑念を消していくことはとても大切だと思っています。また、私の潜在意識から妄念を消していくこともとても大切だと思っています。


(3)インドの五戒

そのような訳で、顕在意識と潜在意識を清浄にすることは、私にとってはとても重要な課題です。

そのための方法として、インドの伝統的な五戒が効果的ではないかと思っています。ジャイナ教やヨーガでは、次の5つです。

  • Ahimsa(非暴力)
  • Satya(真実語)
  • Asteya(盗まない)
  • Brahmacharya(清らかに暮らす)
  • Aparigraha(持たない)

インドの伝統にどっぷりと浸かっている人であれば、それぞれの本来の意味をご存知かと思います。しかし私はインドの伝統には疎く、また私が目にすることのできる紹介文は門外漢向けのものばかりです。そのため、五戒の本来の意味は推測するしかありません。


(4)アナスタシア

最近、アナスタシア・シリーズを読みました。シベリアに住むアナスタシアの暮らしや考え方は、現代社会に暮らす私たちとは大きく異なるものでした。

偶然か必然か、私にはインドの伝統的な五戒を守っているかのようにも見えました。太古から伝わる叡智に従うと、地域や時代に関係なく、生き方に共通な側面が現れるのかもしれません。逆に言えば、アナスタシアの考え方・行い・暮らしなどから、インドの伝統的な五戒をいくばくか推測できるかもしれません。

五戒の本来の目的は、人間の能力を極限まで引き出すための基礎を作ることにあるのではないかと思います。基礎体力ならぬ基礎心力を高めることが目的ではないかと思います。単なる道徳律ではないと思います。したがって、五戒の本来の意図を理解した上で、五戒を守るべく研鑽を続けると、人間が本来持っている能力が少しずつ開かれていくのではないかと思います。

五戒の本来の目的を理解するためのヒントは、アナスタシアをはじめとして現代社会から遠く離れたところで暮らしている人たちの中に残されているのではないかと思います。


(5)アウトサイダー

ただし、インドの伝統的な五戒を厳密に守ろうと思うと、現代社会の価値観から大きく離れてしまうかもしれません。

例えば現代社会では、「怒るべきときは怒る」「相手を傷つけないように嘘を言う」などは道徳的な行為とされているように思います。しかし五戒を厳密に守ろうとすると、これらはできなくなってしまいます。

そのため、五戒を守ろうとしていると、いつの間にか現代社会からはみ出てしまうかもしれません。しかし、私のように後遺症で脳力が随分と落ちてしまった人は、ただでさえ現代社会の道徳に従う余裕はあまり残されていません。したがって、現代社会からはみ出てしまうことは、もはや仕方がないことだと思っています。

どんどんわがままになってますね… どうもすみません。。

暑いですね

このところ、リハビリ作文の骨格は朝のうちに書くようにしてました。そして余裕のあるときに、追記したり推敲したりしながら仕上げてました。今朝は別件の作業をしたので、夜に作文をしようと思っていたところ、、思ったより暑くて、まったく書けませんでした。。

梅雨が明けて昼間はとても暑くなり、扇風機の風すらも暖かいです。夜も暑さが残ってます。頭脳作業がまともにできるのは朝のうちだけのようです。この季節は、お昼以降は肉体作業に当てた方がよいかもしれません。幸い、炎天下のジリジリした暑さは好きなので、屋外ですごすのもよさそうです。もちろん、休憩時間は十分に頻繁に取ります。

運動不足が続いているので、空を見上げると首がポキポキ言いそうになり、腕を回すとバキバキ言いそうになります… 夏の間に、ゆっくり、ゆったり、体を動かしておければ、と思っています。

アヒンサーからの宿題

(1)アヒンサー

いつの頃からか、「怒ったら負け」と思ってました。

なぜそんな風に思うようになったのか、自分ではよくわかりません。ガンジーの非暴力・不服従のことは知ってました。ジャイナ教では虫も殺さないことも知ってました。しかし、それが「怒ったら負け」につながるとは想像したこともありませんでした。

インドの伝統的な戒に「アヒンサー(非暴力)」があります。ガンジージャイナ教、ヨーガなど、インドでは大変重視れさている戒です。当初は肉体的な暴力を禁止する戒だと思ってました。しかしいつしか、心の中の暴力的な感情も含めて禁止する戒だと思うようになりました。そして最近、「怒ったら負け」はアヒンサーにつながることに気付きました。

もしかしたら、アヒンサー戒は私にとっては因縁あるとても大切な宿題なのかもしれません。


(2)怒ったら負け

ご存知のように私は感情がとても乱れやすい人です。強烈な自己否定の心を抱えているからです。だからこそ、アヒンサーは大切な宿題だと思っています。

例えばとんでもない事件に巻き込まれたときに、世間的な理屈を振り回して「なんて悪い奴だ!ぷんぷん!」と思ったとしたら、前述の「怒ったら負け」のルールにより、その瞬間に私の負けです… 「ぷんぷん」が消えるまで、土俵に上がることができません。。

喩えるなら、しりとりで「ん」で終わる言葉を発した瞬間に負けるのと同じです。

では、どうするとよいでしょうか… 探求の始まりです。


(3)共感か独善か

まずは、生まれてこのかたの体験を思い出してみました。

そして気付きました。とんでもないことをする人たちには、その自覚がないからこそ平気でできるのだということに…。おそらくほとんどの人は、次のように思っているのではないかと思います。

「自分はよいことをしている。中にはあまりよくないこともあるけど、自分にはそれをする権利がある。」

ここでは「よい」の判断基準が曲者です。事情をきちんと理解した上で行動している人もいれば、自分勝手な妄想を膨らませて行動している人もいるからです。しかしいずれにしても、ほとんどの人は上述のように思っているように思います。

これを前提に人の心を見るようにしています。


(4)怒りの感情

次に、怒りの感情を見つめてみました。どんなときに怒りの感情が湧き上がってくるか、どんなときに怒りの感情が爆発するか… そして次のようなルールを発見しました。

どうやら、怒りの感情が湧き上がってくるのは、(1)相手の中に自分の嫌いなところを見たとき、(2)自分の思い込み(妄想世界)が攻撃されたと思ったとき、の2つのパターンがあるようです。

逆に言えば、怒りの感情がどのようなときに湧き上がってきたかを見つめることで、自分の嫌いなところや、自分の思い込みが見えてきます。

それをひとつひとつ消していけば、過去の出来事に対する怒りの感情が少しずつ小さくなっていきます。そして、日々の暮らしの中で怒りの感情が湧き上がってくることが少なくなっていきます。

怒りの感情を見つめることを通して、「事実は中立(ニュートラル)で、怒りの感情の原因は100%自分の内側にある」と思うようになりました。道徳的な善悪は、怒りの感情と切り離して冷静に考えるべきだと思うようになりました。


(5)ロボット

その次に、人々の潜在意識に潜む「心の動き」を探りました。生まれてこのかたの体験を思い出しては、ひとつひとつ分析していきました。

私が強いご縁をいただいた方々は、どうやら自己否定の心が強い人が多かったように思います。彼らは、大きく分けて次の三つのタイプに分類できるように思います。

  • 〔反動タイプ〕自己否定の心を否定するために、自分は凄いと思い込む。
  • 〔従順タイプ〕自己否定の心に従って、自分を押し殺して、場に従う。
  • 〔研鑽タイプ〕自己否定の心を埋めるために、一所懸命研鑽する。

私の場合は、特に〔反動タイプ〕の方々と強いご縁をいただきました。そして「事実は小説より奇なり」な事件をたくさん体験することができました。同じような体験をいくつ見比べてみることで、彼らの心の動きが少しわかるようになりました。

心の動きにパターンがあるということは、心の動きをおおまかなアルゴリズムとして記述できることを意味しているように思います。また、もしも一人一人の心の動きをアルゴリズムとして記述できれば、集団心理を分散アルゴリズムとして記述できるのではないかと思います。

もしもそんな大それたことができるのであれば、、人は自由意志で行動しているつもりになっているだけで、実際には自己否定の心に操られたロボットなのかもしれません。仮にそうだとすると、ロボットの言動を責めても馬耳東風に終わるだけで何も変わらないのではないかと思います。大切なのは、ロボットであることをやめてもらうことだと思います。

ロボットから人間になってもらうためには、自己否定の心を少しずつ小さくして、やがて消してもらう必要があると思います。そういう方向で協力し合うことができれば、一人一人の苦しみが消えていくと同時に、集団心理も穏やかになっていくのではないかと思います。


(6)ハート

今は、潜在意識をもう一歩掘り下げたいと思っています。潜在意識の中で前述のアルゴリズムが働く部分よりさらに奥に、人の心の本質的な部分があるのではないかと思うようになったからです。

もしも相手のハートと直接語り合うことができれば、相手から不可解な言動を引き出すこともなく、幸せな関係を築くことができるのではないか… 怒りの感情と無縁な関係を築くことができるのではないか… 今はそんな風に思っています。

しかし、そのためにはどうすればよいのか、私の力量ではさっぱり分かりません… 愛あふれる人になれるとよいのかしら… でも、どうやって… 今はここで足踏みしています。


(7)さらに深く

アヒンサー戒からいただいた宿題に向き合っているうちに、ここまでやってきました。

できることなら、潜在意識のさらに深いところへと降りていければと思っています。

この先、どこにたどり着けるか… 探求はまだまだ続きます。