法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

〔草稿3〕原因1:《自己否定》の心傷への刺激

勧善懲悪の旗印

〈怒り〉の現れ方は、時と場合によって様々です。例えば、ちょっとムッとする程度の小さな怒りもあれば、不動明王のような形相で大噴火を繰り返す凄まじい怒りもあります。また、〈怒り〉には大概、理由が伴っています。「あいつが××したから腹が立った」「あいつが△△しているところを見ると無性に腹が立つ」などなど、他人を責める内容が多いのではないかと思います。

そこで一般には、悪い行為を見たり聞いたりした結果として〈怒り〉が沸き起こってくるのだと考えられているように思います。また、〈怒り〉の激しさは、行為者の悪徳ぶりや自分たちの正当性を示しているものと考えられているようにも思います。

しかし考えてみると、同じ行為でも誰がするかによって腹の立ち方が全然違います。例えば、赤ちゃんの行為には滅多なことでは腹が立ちません。また、親しい人と赤の他人とでは、同じ行為でも感じ方が全然違います。〈怒り〉は、時と場合と相手によって大きく変化するようです。すなわち、〈怒り〉の原因は、行為の善悪正邪とは別のところにある可能性を示唆しているように思います。

自分の中の嫌いなところ

そこで、〈怒り〉が発生した場面をいろいろと思い出して、理由ごとに分類してみました。ところがどんなに工夫して分類しても、「××なときに腹が立って、○○なときは腹が立たない」となるようなスッキリした分類ができません。

あるとき視点を変えて、理由ごとではなく、状況ごとに分類してみました。すると、なんとなくスッキリと分類できました。さらによくよく状況を吟味しているうちに気がつきました。どうやら、〈怒り〉が発生するのは、相手の中に自分の嫌いなところを見たとき(あるいは連想したとき)のようでした。すなわち、状況ごとに分類すると、ちょうど《自己否定》の心傷ごとに分類したのと同様の結果になっていたようでした。(ここでの《自己否定》は、自分自身の様々な側面を否定的に捉える気持ちのことです)

面白いことに、状況と理由の対応関係はバラバラでした。どうやら、本当の原因とはまったく異なるカムフラージュ・ストーリーが、理由として紐付けられているように思われました。もしかしたら、心の傷を直視したくないからかもしれませんし、あるいは単に心のメカニズムによるものかもしれません。いずれにしても、理由だと信じていたことは、本当の原因ではないようでした。

〈怒り〉は潜在意識で発生する

以上より、〈怒り〉の本当の原因は《自己否定》の心傷への刺激であることがわかりました。

また、〈怒り〉は潜在意識で発生して、理由が置き換えられた上で、顕在意識に届けられているように思われました。そして、顕在意識はその報告を鵜呑みにしているだけと考えた方がよさそうでした。

発生過程その1

したがって、〈怒り〉の発生過程は、以下のように推測することができます。

  1. 五感から入ってくる情報は、まずは潜在意識で処理されます。その際、相手の言動の中に自分の中の嫌いなところを見ると(あるいは連想してしまうと)、《自己否定》の心傷が刺激を受けて、不快な感情が発生します。これが〈怒り〉の元となります。

  2. その感情が潜在意識から顕在意識に向けて上がっていく過程で、〈怒り〉の本当の原因は忘れられて、代わりに別の理由(カムフラージュ・ストーリー)が付加されます。多くの場合、〈怒り〉が発生した際にちょうど見聞きしていた言動を、道徳的に悪いものへと脚色した内容になっているようです。

  3. その感情が顕在意識に届く頃には、「あいつが××したから腹が立った」のような、自分が受け入れやすい理由になっています。顕在意識はそれを鵜呑みにします。

※これは発見当時の推測です。

まとめ:原因その1

〈怒り〉の原因は、《自己否定》の心傷への刺激でした。

したがって、〈怒り〉を小さくしたり無くしていったりするために必要なのは、自分の中の嫌いなところをなくしていくことのようです。言い換えると、《自己否定》の心傷をすっかり癒して、自分のことを無条件に好きになることのようです。

このことを発見した当時は、これが〈怒り〉の唯一の原因だと思ってました。しかしその後、もうひとつの〈怒り〉の原因を発見することになります。