法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

病人らしくないことをすると、病気は消えるかな…

(1)遠出

猛暑の季節となりました。暑い季節はダントツに血行がよくなるからか、お蔭様で急激に体が軽くなりました。そこで夏季限定で自転車での遠出に挑戦することにしました。

遠出といっても、マラソンのような長距離ではありません。普段なら行くのが億劫なところまで、時々足を伸ばす程度の計画です。


(2)らしくないこと

「病人らしくないことをすると病気は消える」と随分前に何かで読んだことがあります。

例えば、病気で寝込んでいる人が一念発起して、来る日も来る日も重労働に励むようになったとします。頭で考えるとありえない状況ですが…、はたしてありえないのは重労働でしょうか? それとも病気でしょうか? 頭で考えると前者のように思えますが、うっかり体が勘違いして後者だと思うようになると、病気が消えてしまうそうです…

(たしか、中村天風がヒマラヤのカリアッパ師のもとで2年半修行したときの、最初の頃のお話だったように思うのですが…、記憶違いでしたら誠に申し訳ありません…)


(3)重労働

私の拙い経験からすると、病弱な人は世間一般レベルでの「重労働」は無理にしても、それぞれの人にとっての「重労働」なら挑戦できるように思います。

以前の私であれば、例えば、普段50m歩くのが精一杯なところを500m歩いてみる。あるいは、普段じっと座っているのが精一杯なところを部屋の掃除をしてみる。それだけでも感動的に凄いことでした。

今の私であれば、例えば、普段精一杯だと感じている距離の10倍の距離を自転車で走ってみる。そのくらい大きな目標を抱いていれば、仮に普段の3倍、5倍と距離を伸ばしても、精神的なブレーキ(不安感など)とは無縁なまま遠出を楽しむことができます。

もちろん、マラソン・ランナーと比べると随分と短い距離を、かなりゆっくり走ることになります。また、健康な人が同じコースに挑戦すると、私よりずっと速く、しかも疲労を残すこともなく走ることと思います。誰が見ても、世間一般レベルの「重労働」とは程遠い簡単な挑戦にすぎません。

しかし、人様と比べることは私にとっては意味がありません。他でもない私にとっての「重労働」であるはずのことが、いとも簡単にできてしまう。その驚きが重要なのです。その結果、「あれれ、実は私って肉体的には健康なのかもしれない!?」と体が勘違いしてくれることが重要なのです。


(4)体にまかせる

人間の適応力はとても高いように思います。

例えば、それぞれの人にとっての知力・体力・筋力を超える作業に取り組んだとします。最初のうちは困難ばかりが続くかもしれませんが、やがて体の使い方が少しずつ巧みになってきて、できることが少しずつ広がっていくのではないかと思います。そしていつしか、できないと思っていたことが、なんとなくできるようになり、さらにはドンドン上達していくのではないかと思います。

このような現象を学者さんが分析すると、「脳内の○○という部位が□□な働きをしたからです、そのためのポイントは△△です」などともっともらしい理由を見つけてくれるかもしれません。しかし日常生活にそんな理屈は不要です。

明るく楽しく、真剣に興味津々に取り組んでいれば、できないと思っていたことでも、やがてできるようになっていくことは多いのではないかと思います。それどころか、続ければ続けるほどメキメキと上達していくのではないかと思います。

その理由は、集中力を維持したまま心身がゆるむと、体自身がベストな方法を自動的に見つけてくれるからではないかと思います。体自身が見つけたベストな方法は、頭で考えたベストな方法よりも、遥かに優れていると思います。体のことは体にまかせるのが一番だと思います。

(きっと頭脳作業でも同様で、脳のことは脳にまかせるのが一番だと思います)


(5)ゆったり、たっぷり

閑話休題、前述の「重労働」の話に戻ります。

それぞれの人にとっての「重労働」ができるようになるためには、それぞれの人にとっての知力・体力・筋力を超えた動き、体にとってのベストな動きができるようにならないといけません。それはきっと、全身を効率よく柔らかく使う動きだと思います。

聞くところによると、肉体は水袋に喩えることができるそうです。肉体を動かすということは、体内の水分を右に左に動かして、肉体の形を変えていくということでもあります。その際、全身の毛細血管内の血液は、強制的に血流方向に流されます。そのため、肉体を動かせば動かすほど、血液の淀みが少しずつ解消されていきます。その結果、全身に溜まっていた老廃物が回収されると同時に、全身に栄養が送り届けられるようになります。

すなわち、全身を柔らかくたっぷりと使えば使うほど、全身が血液のポンプとして働いて血行が改善されて、全身から病気が消えやすくなるのではないかと思います。

そのためのコツが、それぞれの人にとっての「重労働」にあるのではないかと思います。継続的な「重労働」のためには、それぞれの人の限界を超える動きが要求されます。そのためには、全身を効率よく柔らかく連続的に使う必要があります。日常的な動きを大きく超えながらも、心身への負荷の小さな動きのお蔭で、血行がよくなって、病気が少しずつ消えていくのではないかと思います。

したがって、「重労働」だからと気張ってガチガチになる人には、逆効果かもしれません。明るく楽しく、真剣に興味津々に取り組める人だけに効果がある方法ではないかと思います。そのため、病弱な人が「私は健康だ」と勘違いすると、嬉しさのあまり全身がゆるんで、理想的な状態に入りやすいのではないかと思います。そして健康状態が改善しやすくなるのではないかと思います。


(6)今夏の目標

私事ながら、私は体力や筋力が弱いだけでなく、血行が悪く、肺のガス交換能力も低いので、健康な人と比べると肉体的な上限値が随分と低い状態にあります。

しかし、体の使い方を工夫したり、文明の利器(例:電動アシスト自転車)を上手に活用したりすれば、期待以上にいろんなことができるようです。できることが増えれば増えるほど、体を動かす機会が増えます。体を動かせば動かすほど、全身の血行が改善されて、健康増進に結びつくのではないかと思います。

すなわち、「私は健康だ」と勘違いして「重労働」に励めば励むほど、健康増進に結びつくのではないかと思います。今年の夏は、私なりの「重労働」に励みたいと思います。