法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

伝統的な思想と現代社会

(1)古代の覚者

半年くらい前から、BGM 代わりに中国語による仏教教典の読誦を繰り返し聞くようになりました。朝から妙法蓮華経を聞いて(9時間半)、そのあと地蔵菩薩(2時間半)、薬師如来(50分)、観音菩薩(25分)などのお経をその時々の気分で聞いています。寝る時も妙法蓮華経を聞きながらです。

音楽を流すとついつい聞き入りたくなることがありますが、中国語による読経はどこをとっても意味不明なので、聞き耳を立てたくなる心配がないところがよいのかもしれません。仏教発祥の地であるインドの言葉による仏典読誦があるようでしたら、聞いてみたいです。

仏典の漢文(古代中国語)が読めるようになると、視野が広がるかもしれないなぁと思いつつも…、漢文の勉強はしていません…


(2)近現代の覚者

このところ、近現代のインドの覚者の本を読むことが多くなりました。

近現代インドではアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)が優勢だそうです。植民地時代の影響か、欧米経由で日本に入ってくることが多いようです。英語の原書が読めるようになると、視野が随分と広がるのではないかと思いつつも…、新たに覚えなくてはいけない英単語が多すぎて躊躇しています…

ヒマラヤ覚者の本もよく見かけるので、少しずつ読んでみたいと思います。


(3)ニッチを突き抜ける

そんなこんなで、古代から伝わる伝統的な思想ばかり求めて、現代的な思想にはかなり疎くなっています。そのため、現代社会を支配するパラダイム(もしくは社会常識)が、日に日によくわからなくなっています。世間の人たちの視点も発想も反応も摩訶不思議に見えることがよくあります。

逆に言えば、世間の人たちから見ると、私の言動は非常識だったり意味不明だったりすることがよくあるのではないかと思います。

非常識ついでに、ニッチを極めて突き抜ける人生もまたひとつかもしれません(笑)