法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

噂話化社会

現代日本は、情報化社会ではなくて、噂話化社会ではないかと思うことがあります。


(1)情報化社会

一般に、情報は「正確」であることが求められます。正確に発信されて、正確に伝達されて、正確に分析されてこそ、価値のある情報になると思います。

しかし現実世界では100%の正確性を求めることは難しい場合があります。そのような場合には、「確からしさ」を確認できる情報が付随していることが重要だと思います。例えば、情報の取得方法、伝達方法、分析方法などがわかれば、確からしさを判断しやすくなると思います。その際、情報を受け取った人は、それぞれの手法の概要と長所短所を理解していることが求められると思います。仮に情報機器に処理をまかせる場合であっても同様です。

また、情報の受け取り手である人々が、どのような情報が必要か、どうすれば探し出せるか、どうやって分析するか、どうやって活用するか、などを知っている必要もあると思います。

情報の発信者・伝達者・利用者のすべてが情報の扱いに長けていてはじめて、情報化社会を名乗れると思います。


(2)噂話化社会

ところが現代日本では、情報の正確さよりも、簡潔さや納得しやすさが求められているように思います。

情報を受け取ってもらいやすくするために、概要をわかりやすく示すこと自体はとても重要なことだと思います。限られた時間の中でたくさんの情報を処理するために、概要だけ読むもの、詳細も読むものを的確に判断できるようにしておくことはとても重要だと思うからです。

しかし万一、正確さを犠牲にしてまで、簡潔さや納得しやすさを重視するようになると、話は違ってきます。伝わりやすさだけを追求すると、ウケの良い恣意的なストーリーに書き換えられてしまう可能性があるからです。

例えば、発信者目線のストーリーを描いて、そこに Good News だけを乗せて、Bad News を隠して提示する。あるいは、消費者が食いつくようなストーリーに加工して提供する(美談に仕立てたり、茶化したり、不安を煽ったり)。はたまた、権威ある人のお墨付きであることを強調して中身にはできるだけ触れない。などなど。

このように、情報発信者は正確性を無視してウケのよいストーリーを提供するようになり、人々はそのようなストーリーに飛びつくようになると、もはや情報化社会とは呼べず、噂話化社会と呼ぶべきではないかと思います。


(3)噂話リテラリー

情報リテラシーという言葉があるそうです。本来であれば、情報を正確に取得・伝達・分析できてこその情報リテラシーだと思います。

しかし日本では、情報の正確な取得・伝達・分析に関わる啓発はスッポリと抜けているのではないかと思います。そのため、噂話を活発に交換するために情報機器を利用することが奨励されていると言っても過言ではない状況にあるように思います。

情報機器を使う・使わないに関わらず、日本で重視されているのは情報リテラシーではなく、噂話リテラシーではないかと思います。報道からチャットまで、さらには井戸端会議まで、噂話リテラシーが重視されているのではないかと思います。噂話リテラシーのない人は、世間から締め出されかねない勢いだと思います。


(4)情報リテラシー

現代日本では、正確な情報を入手することがとても難しくなっているように思います。政官財学を含めて、あらゆる分野で情報の正確性や掘り下げ能力が軽視されているのではないかと思います。

その理由として、(1)事実と空想の区別がつかないこと、(2)正確性を持った推論方法や検証方法を知らないこと、(3)正確性を持った情報伝達方法を知らないこと、(4)正確性の重要性を知らないこと、(5)理解を深めることの意義や方法を知らないこと、などが挙げられると思います。

情報を正確に適切に扱うことが当たり前の世の中になってはじめて情報化社会と呼べるのではないかと思います。情報リテラシーにはそのための基礎能力を含めるべきだと思います。