法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

初めての冬の思い出

発症後、最初の冬はとても寒く感じました。その理由は大きく分けて二つあったように思います。

一つ目は、血行がものすごく悪かったことです。気温が下がって血管が少し収縮してくると、血行が不十分になってきて、脳も体も思うように動かなくなりました。11月頃になると意識状態が下がってボーッとしてる感じになって、体もノソノソとした動きになってました。真冬になるとさらに下がってました。幸い、年々改善して、ついに今年は真冬でも随分と楽に過ごせるようになっています。

二つ目は、脳や体の使い方の省エネができてなかったことです。ついつい健康な頃と同じような使い方をしてしまうので、脳や体がすぐに疲れて、頻々に長めの休憩が必要となってました。冬は特に顕著に現れていました。これについても年々改善しているようです。無意識のうちに体が色々と学習しているのだと思います。ありがたいことです。

こんな風にいつもの冬とはまったく異なる感覚を味わったことが、冬の寒さを大きく引き立てたのではないかと思います。

発症後の最初の冬は、今と比べると本当に脳も体もうまく動きませんでした。認識力も思考力もかなり落ちていたからでしょうか、当時の状態を正確に思い出すことはできません。また、曖昧な記憶をどうやって言葉で表現すればよいかよくわかりません。常識外れなことを常識的な言葉で表現するのはとても難しいです。


当時は脳が今よりはるかに疲れやすかったので、しょっちゅう思考を止めてました。何も考えず、雑念も浮かばず、体も動かさず。ただじっとして疲労が取れるのを待つことを、しょっちゅうやってたように思います。最初のうちは、毎日数時間ずつだったように思います。それが少しずつ短くても済むようになって行きました。(当時は脳が動かなかったから思考を止められたのであって、今はもう思考を止めることはできません、いつも雑念でいっぱいです…笑)

初めての冬は、真冬にうっかり脳を使いすぎると、頭痛がすることがありました。当時の脳力はとても低かったので、今ならなんてことないくらい、ほんのちょっと使っただけでも、頭痛がすることがありました。しかも、二つ目の発症直前を思い出すような種類の、悪い予感のする頭痛でした。

そんな時は、「この人生もここまでかな」と思いながら、ストーブの真前にずりずりと移動してました。そして体を温めながら、脳を止めて、体も止めて、ただただじっとしてました。そんなことが何回かありました。

幸いにして今も生きてますので、大きな再発はなかったようです。そんな経験を通して、今は「与えられたいのち」「いただいたいのち」を生きているような気がしています。だからと言って何か特別なことができる状態にはありませんので、今もリハビリと療養をしながら普通に暮らしています。

今のままで良いのか、それとも何か行動を起こすべきなのか、残念ながら今もってよく分かりません。ただ、どう頑張ってもできることしかできなくて、できないことはできないので、できる範囲で暮らしていこうと思っています。

そんな昔の話を思い出せるうちに記録しておきたくて、最近時々、思い出シリーズを書いています。