法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

大切にしている「思い」を壊されたくないという気持ちが、「怒り」の原因かもしれない

(1)怒りの原因

かつての私は、全身全霊で強烈な自己否定の塊でした。そのため、「怒り」の感情の発生原因は「相手の中に自分の嫌いなところを見てしまったこと」である場合が、ほとんどだったのだと思います。

それから時が経ち、自己否定の心が若干薄れてきたお蔭で、それ以外にも「怒り」の感情の発生原因もありそうだと思うようになりました。周りの人の心の動きを観察しても、やはり他にもありそうな気がしています。

まだ十分には見極められてませんが、記録のためにちょっと書いてみようと思います。以下、まとまりが悪くて申し訳ありません。


(2)心のカサブタ

人はたくさんの思い込みを抱えて生きています。「○○は□□のはずだ」「××は△△のはずだ」などなど。自分が抱えている思い込みこそが正統だという思いが強ければ強いほど、その思い込みを「理不尽」に破壊しようとする人に対して、強い「怒り」の感情が発生するように思います。(例えば「これはデタラメだ!」という怒りです)

人はたくさんの希望を抱えて生きています。「○○は□□であって欲しい」「××は△△であって欲しい」などなど。自分が抱えている希望に正当性があるという思いが強ければ強いほど、その希望を「理不尽」に破壊しようとする人に対して、強い「怒り」の感情が発生するように思います。(例えば「俺の人生を返せ!」という怒りです)

同様に、人は自分の中の嫌いなところを、なかったことにして生きています。自分を美化して生きています。「私は本当は○○ではなくて□□である」「私は本当は××ではなくて△△である」などなど。自分自身に対する改竄作業(隠蔽・美化作業)が無理矢理であればあるほど、本当の姿を「理不尽」に指摘されたと感じると、強い「怒り」の感情が発生するのではないかと思います。(昨日書いたように、自分の嫌いなところを直視しない、ランダムな怒り方になると思います)

※喩えるなら、心のカサブタを無理矢理はがされたときの痛みが、「怒り」という感情なのかもしれません。喩えついでですが、心にカサブタがあるということは、その下に隠れている心の傷こそがより根本的な原因ではないかと思います。それは例えば「自己否定(劣等感)」や「自己否定の裏返しとしての無理矢理な傲慢さ」かもしれません。


(3)執着→怒り

以上をまとめると、人は様々な種類の「思い(信念体系)」を抱えて生きています。それは一般には、世界観・人間観・人生観などと呼ばれるものではないかと思います。その「思い(信念体系)」が無理矢理であればあるほど、その「思い(信念体系)」が「理不尽」な攻撃を受けたと感じたときに、強い「怒り」の感情が発生するのではないかと思います。

さらに簡潔に言い換えると、人が抱える様々な「思い(信念体系)」に対する「執着」が強ければ強いほど、それを「理不尽」に破壊しようとする人に対して、強い「怒り」の感情が発生するのではないかと思います。「思い(信念体系)」の破壊に対する「恐れ」が、「怒り」の感情の原因という見方もあるかもしれません。


(4)柔軟な心

このように考えると、心が柔軟になればなるほど(=「執着」が弱くなればなるほど)、「怒り」の感情に振り回されなくなるのではないかと思えてきます。どんなときでも冷静に対処できるようになれば、双方にとってよりよい解決策が見つけやすくなるのではないかと思います。

(こんな風に思うだけならとても簡単ですが、そんな境地に達するのはとても難しそうです…)