法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

独り相撲と宇宙愛智

(1)独り相撲

例えば、AさんとBさんがケンカ状態にあるとします。

Aさんから見ると、Bさんはとんでもない人です。怒り心頭に発する状態です。しかし実際には、Aさん自身の嫌いなところをBさんの中に見たり、Aさんの思い込みをBさんが破壊していると感じているからこそ、激しい怒りの感情が湧き上がってくるのでした。怒りの感情の原因はAさんの中にあるのでした。

逆にBさんから見ると、Aさんはとんでもない人です。怒りで肉体がはちきれんばかりになっています。しかし実際には、Bさん自身の嫌いなところをAさんの中に見たり、Bさんの思い込みをAさんが破壊していると感じているからこそ、激しい怒りの感情が湧き上がってくるのでした。怒りの感情の原因はBさんの中にあるのでした。

すなわち、Aさんは実は独り相撲をしています。Bさんも実は独り相撲をしています。独り相撲に興じている者どうしが共鳴して、阿吽の呼吸でケンカ状態を創り出しています。

事実は中立(ニュートラル)です。怒りの感情は独り相撲が生み出します。最近はそんな風に思ってます。


(2)天国と地獄

もしもAさんが独り相撲に飽きてやめてしまったら、どうなるでしょうか。あるいはBさんが独り相撲に飽きてやめてしまったら、どうなるでしょうか。

仲良し同士の喧嘩であれば、どちらかがすぐに独り相撲に飽きて、喧嘩があっけなく終わるのではないかと思います。仲良くしていた方が楽しいからです。ちょっと謝るだけで、怒りの感情はあっという間にどこかに消えてしまうのではないかと思います。

しかし正義対正義の喧嘩では、怒りの感情への刺激が強く長く続きます。正義の名の下に、双方とも激しさを増すばかりです。そのような中で独り相撲に飽きるのはとても難しいことかもしれません。しかし双方が飽きてお互いに冷静にならないと、喧嘩を終わらせることはできないと思います。表面的な仲直りでは、形を変えて燻り続けて、やがて再び爆発する日がやって来ると思います。

不仲同士の喧嘩は、その中間にあると思います。妄想に基づく正義を振りかざすのをやめて冷静に話し合うことができれば、状況は随分と変わるのではないかと思います。妄想を抑える術(スベ)を身につけるだけでも、随分と変わるかもしれません。

双方が妄想と独り相撲をやめることができるかどうかが、天国と地獄を分けているのではないかと思います。


(3)夢物語

子どもの頃、世界平和に貢献できるといいなぁ、と思ってました。当時は、平和活動に取り組んでいる団体への貢献が、そのまま世界平和につながると思ってました。しかし具体的な行動を起こすことなく時間だけが流れていきました。そしていつの間にか見方がちょっと変わってました。

今思うのは、世界平和を実現するための一番の近道は、世界中の人々の心を平和にすることだ、ということです。それは単に非暴力というだけでなく、愛と叡智に満ちている世界です。人々はお互いに敬いあい、大自然を敬い、大宇宙をも敬う。人々が物や地位でつながるのではなく、心でつながり、愛でつながる。もちろん自己否定とも妄想とも無縁。そんな世界です。

紛争や困窮のあるところでは的確な対症療法は必要だと思います。それはとても尊い活動だと思います。しかし行動力と無縁な私は、世界中のすべての人々の心が平和になって、愛と叡智に満たされた世界が来ることを夢見ることしかできません。いつの日かそんな世界が来ますように。歓迎光臨、未来世界。