法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

心の三層構造と3つの視点

(1)心の構造

現時点での心の構造に関する私の仮説を改めて書いてみようと思います。

昨日書いた通り、あくまで私の体験を読み解くための仮説ですので、私以外の人にはあまり意味のない仮説かもしれません。また、文章力不足のため、抽象的でわかりにくく、尻切れトンボな文章になってしまいました。誠に申し訳ありません。


(2)三層構造

多くの人は、大なり小なり心の傷を抱えているのではないかと思います。そこで、心の傷に無理矢理フタをして、代わりに自分が理想とする姿を心に思い描いて、その理想像を演じようと頑張って生きているのではないかと思います。心の傷の原因を克服した姿を演じる人もいれば、心の傷が作った劣等感と正反対の姿を演じる人もいるのではないかと思います。

また、多くの人は、大なり小なり欲望を抱えているのではないかと思います。そこで、欲望の実現方法を考えて、夢の実現に向けて取り組む自分の姿を心の中に思い描いて、その姿を演じようと頑張って生きているのではないかと思います。

以下では、心の傷や欲望を「ドロドロ」、心の中に思い描いた姿を「ハリボテ」、それを演じる姿を「ナリキリ」と呼ぶことにします。演劇に喩えると、ドロドロは作家、ハリボテは世界設定、ナリキリは即興役者にあたります。心の中をこの三層構造で考えたいと思っています。


(3)雑観

ドロドロが強大な人ほど、たくさんの人を巻き込んだ世界設定(ハリボテ)を作って、その中で理想の自分を演じようとする傾向があるように思います。たくさんの人を幸せにする人もいれば、たくさんの人を不幸にする人もいるように思います。

ハリボテが強大なほど、世間から高く評価される傾向があるように思います。威勢よく頑張っている人は、好感度が高いようです。日本は減点社会なので、常識の想定内(せいぜい半歩先)を目標に掲げるのがよいようです。印象がよければ、成果の質はあまり問われないようです。

ハリボテが弱い人は、周りの人とのせめぎあいが頻繁に発生して、ハリボテの修繕がしょっちゅう必要になるかもしれません。そのため、悩みの尽きない不安な日々を送ることになるのではないかと思います。

ハリボテを繋ぎ止める力が弱い人は、周りの人からの圧力でハリボテが簡単に吹き飛ばされてしまうかもしれません。その場合はドロドロが剥き出しになるので、ちょっとした刺激で誤動作が頻発するようになるかもしれません。

ハリボテとして掲げた目標が常識の二歩も三歩も先をいくと、無視されたり潰されたりするかもしれません。

多くの人は、常識や噂話の交換を通して、世界設定(ハリボテ)の一部を共有しています。しかし、世界設定を崩壊させかねない情報や能力を持っている人とは、常識や噂話の交換を控えるようです。ときには、四面楚歌に追い込むこともあるようです。

ナリキリが上手な人ほど、ハリボテを実現しやすいように思います。


(4)刺激

ドロドロが刺激を受けると、逆らいがたい様々な感情が湧き上がってきます。いずれの感情も、ナリキリに対する強烈な指示と考えることができるように思います。

また、ハリボテが攻撃されたと思うと怒りの感情が湧き上がってきたり、ハリボテが崩壊しそうだと思うと不安の感情に苛まれたりします。どちらもナリキリに対する警戒信号だと思います。


(5)3つの視点

前述の三層構造とはまったく別に、幼な子の視点、虫の視点、鳥の視点、の3つの視点があるように思います。

幼な子の視点は、ドロドロもハリボテも小さいときにのみ利用可能になる視点かもしれません。「いまここ」につながっているのではないかと思います。

虫の視点は、序列を重視して、秩序正しく行動することを得意とするように思います。そのため、自分の目より世間の常識を重視したり、世間の常識を前提に想像したりする傾向があるように思います。

鳥の視点は、広い範囲を俯瞰的に平等に詳細に観察することを得意とするように思います。逆に、特定の分野を極めたり、対人関係を円滑にしたりすることには向きません。

三層構造と3つの視点を組み合わせると、随分といろんなことが説明できるのではないかと思っています。(もっともっと検証が必要です)

幼な子の視点を再獲得できると、幸せな気持ちで生きていけるのではないかな…、と思っています。