法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

膨らむ評判

(1)当たり前

私は後遺症の影響でマイペースで暮らしています。いつでもどこでも、ゆっくりゆったり、休み休み。多少の瞬発力はあるので、5分〜10分ほどであれば人様にご迷惑をおかけしない程度の速度にすることはできます。しかし一定量の作業をこなそうと思ったら、ゆっくりゆったり、休み休みでないと続けられません。これが私にとっての「当たり前」です。

ところが、私にとっての「当たり前」は、健康な人にとっての「当たり前」とは随分とかけ離れているようです。(後遺症に限らず、私にとっての「当たり前」は、世間の常識とは様々な面で異なっているようです)


(2)観察世界で暮らす

私は肺臓のガス交換能力が低いだけでなく、血液を通して酸素や栄養素を全身に配ったり、不要物を全身から回収したりといった能力がとても低いです。そのため、健康な人と比べると身体能力の各種上限値がとても低いです。

そこで、何をするにも脳や体の様子を観察しながら、上限値を超えないように工夫しながら暮らしています。そのために日々試行錯誤を繰り返しています。

言い換えると、健康面に関しては「観察世界」に重心を置いて暮らしています。そのため、周りの人に自分の健康状態に関して説明するときは、自然に「観察世界」の視点で話をします。


(3)信念世界から見ると

ところが、多くの人は「信念世界」に重心を置いて暮らしています。そのため、聞き手の「信念世界」における位置付けを知りたいようです。例えば、「病気の人は病院で病名と薬をもらっているものだ」と思っている人は、病名、薬の量、通院頻度、さらには病院や医師の信頼度などを知りたいようです。

ところが私はそのような話は一切しません。そのため、多くの人にとって私の話はどのように理解すればよいかわからないようです。


(4)上下関係

そのような場合、話し手と聞き手の上下関係が効いてきます。

もしも私が、聞き手から見て見上げるべき存在であれば、なんとか理解しようと努めて、「信念世界」のしかるべき位置に置いてくれます。しかしもしも私が、聞き手から見て見下すべき存在であれば、理解を拒否して否定的なイメージを抱きます。

その際の、格上・同格・格下の判断は、どのくらい権威を纏っているかによることが多いように思います。例えば、学歴・職歴・肩書・家柄・出身地・住所・性別・年齢・資産・住居・服装・自動車・愛用品・態度などなどです。健康面では、病院や医師がどのくらいの権威を纏っているかが判断基準になるようです。


(5)格下に見られると

幸か不幸か、私は聞き手から見て格下に位置付けられることが多いようです。

そのため、どうしても話を否定的に受け取られることが多くなります。

それだけでなく、聞き手の「潜在個我」が持つ自己否定のイメージ(潜在意識が自分の欠点だと思っていること)を、話し手である私に被せてきます。そして、「この人はこんな人だ、あんな人だ」と悪いイメージが膨らんでいくようです。言い換えると、聞き手は私の中に、自分の嫌いなところを投影します。その結果、私の中に聞き手自身の嫌いなところを見るようになるので、聞き手の潜在意識のどこかで怒りの感情が発生します。怒りの感情が発生すると、潜在意識のどこかで自動的に、聞き手自身の自己否定のイメージを改めて被せてきます。聞き手の潜在意識の中で、これが繰り返されます。

さらに、聞き手の「潜在個我」が持つ「傲慢」と「貪り」の感情の対象にもなるようです。例えば、「俺様は最高に優秀な特別な人間だ。お前は最低のダメ人間だ。だから人生も財産も捨てて、俺様の奴隷となって働けることこそが、お前にとっての最高の幸福だ」という種類のストーリーを創作して、私に被せてくる人もいます。(傍目には驚きでも、その人にとってはこれが「当たり前」なようです)

そうやって膨らんだ醜いイメージが、怒りの感情とともに、噂となって流れていきます。噂を聞いた人も同様に、自分の自己否定のイメージを私に対して幾重にも被せてきます。このようにして、噂に尾鰭がついていきます。場合によっては、尾鰭しかないこともあるかもしれません。


(6)世間の見方

そうやって膨らんだ噂話が、世間の私に対する見方になります。悪い噂話は本人の耳には入ってこないため、噂話の内容もその真偽もわかりません。