(1)五つの戒め
古代インドから伝わる五つの戒めがあるそうです。
- Ahimsa(非暴力、破壊的な気持ちを持たない)
- Satya(真実を語る)
- Asteya(盗まない、欲張らない)
- Brahmacharya(清らかに暮らす)
- Aparigraha(持たない、足るを知る)
ヨガのヤマ(禁戒)やジャイナ教の大禁戒などで伝えられています。
(2)心の動きの道標
一般的には道徳的な戒めと考えられているようです。しかし私は、心の動きを観察するための道標ではないかと思っています。(もちろん、いつものように私の勝手解釈です)
例えば、アヒムサー(ahimsa)を守るためには、心の中をじっくりと観察しないといけません。そして、攻撃的な気持ちがどのような場合に発生するのか、どうすれば攻撃的な気持ちをなくすことができるのか、試行錯誤を繰り返しながら見つけていかないといけません。
同様に、サティヤ(satya)を守るためにも、心の中をじっくりと観察しないといけません。そして、事実とは異なる思考がどのような場合に発生するのか、どうすればなくすことができるのか、試行錯誤を繰り返しながら見つけていかないといけません。
アスティヤ(asteya)、ブラフマチャリヤ(brahmacharya)、アパリグラハ(aparigraha)についても同様です。
五つの戒めを守ろうとすることを通して心の仕組みを知り、その知見をもとに修練を重ねることで、五つの戒めを守れるようになるのではないかと思います。ヨガの八支則の第一則として掲げられているということは、その修練過程はヨガの大基本と考えてよいのではないかとも思っています。
(3)心の断捨離
一般的な意味での道徳は、私の言葉で言うと「信念世界」に取り込まれるのではないかと思います。その場合は、怒りの感情の感情の原因となったり、他人を責めるための矛(ほこ)となったり、自分を守るための盾となったりします。すなわち、五つの戒めを「信念世界」に取り込んでしまうと、意図に反して五つの戒めを破る原因となったり、五つの戒めを破る際の道具となったりしてしまうのではないかと思います。
これは推測ですが、五つの戒めを守ろうと思ったら、「信念世界」をできるだけ小さくして、「潜在個我」をできるだけ清らかにする必要があるのではないかと思います。
そこでまずは、「信念世界」の断捨離と「仮説世界」への移行、そして瞑想を通した「潜在個我」の浄化に取り組みたいと思っています。その際、道徳的なことは「信念世界」にできるだけ残さないようにしたいと思っています。これが今の私の目標です。