法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

想像を膨らませないでありのまま聞く

(1)早とちり

昔々、話のさわりを聞いただけで「そんなこと、あるわけない」「本当は○○に違いない」とすぐに口にする人がいました。口に出さないまでも心の中でそんな風に思う人はよくいるようで、普段は話を合わせておいて、大事な場面で梯子を外す人もいるようです。

科学技術の分野から個人的な話まで、分野によらず、そのような話の聞き方をする人はいるように思います。

科学技術の分野では、「私はなんでもわかっている」と空威張りしたいタイプの人によく見られました。表面的な知識を部分的に組み合わせて、短絡的思考でもって結論をスパッと出すことに快感を見出しているようでした。

個人的な話では、話のさわりだけ聞いてあとは想像するのが礼儀だと思っている人もいらっしゃるように見受けられます。あるいは、「話を聞くまでもなく、私は本人よりよくわかっている」と思っているのかもしれません。

また、分野によらず、ちょっと話を聞いて想像を膨らませることがかっこいいと思っている人もいるのかもしれません。あるいは、短絡的思考でバシッと否定することに憧れているのかもしれません。正確な理由は、まだよくわかりません。


(2)シワ寄せ

しかし、話のさわりだけを聞いて想像を膨らませると、事実とは大きく異なる内容になってしまう可能性はとても高いと思います。事実と想像のギャップを楽しむことが目的であれば、それでもよいと思います。上手にボケをかますことは、会話の潤滑油になると思うからです。あるいは、作家さんにとって、想像を膨らませることは創作活動の重要な一部かもしれません。

しかし、人の話を真面目に聞かないで想像ばかり膨らませていると、大きな大きな事実誤認が生まれやすいと思います。万一、事実誤認があたかも事実のように広まると、立場の弱い人のところにシワ寄せが集まることになると思います。

特に、強者による事実誤認は、誰も逆らえなくて、回り回って弱者がシワ寄せをかぶることになりがちのように思います。「風が吹けば桶屋が儲かる」ような複雑な過程を経て、責任追求の難しい構造的パワハラが発生する元凶となりうるのではないかと思います。


(3)不文聖典

そうやって様々な想像を膨らませる際には、常識や噂話をつまみ食いして、自分好みの方向性の結論を導く形で行われていることが多いのではないかと思います。

しかし、世間の常識や噂話には、強者の意向が強く反映されています。強者の意向には、勘違いによる事実誤認から、利権の維持拡大を目的としたもの、大親分への忖度など、様々なものが含まれていると思います。天下の頂点に立つ親分から末端の親分まで、様々な意向が入り混じっていることと思います。さらには、人々の不安や期待も含まれているのではないかと思います。

複雑な過程を通して作られた常識や噂話は、多かれ少なかれ事実と乖離したものとなっているのではないかと思います。しかし、様々な人たちの意向が入り混じっているため、一旦確立すると簡単には書き換えることができません。

一旦確立した常識や噂話は、日本では「不文聖典」のごとく大きな権威を持っているため、逆らったり無視したりすると痛い目にあいます。

その性質を利用して、常識や噂話を武器にして人様を責めることは広く行われているように思います。特に、立場の弱い人や、赤の他人を責めるときに使われるように思います。日頃の鬱憤を晴らす道具となっているのかもしれません。逆に防具として使われることもあるように思います(例:先例主義)。ときには、親切心の皮を被って回り回って「ステルスいじめ」の武器になっていることもあるように思います。


(4)半歩先

商売の世界では、世間の半歩先をいくことが重要だと聞いたことがあります。世間と同じでは埋没してしまいますが、一歩先では誰もついてきてくれません。世間の人に理解してもらおうと思ったら、常識の延長線上に分かりやすく収めること、すなわち半歩先が重要なのかもしれません。

コメンテーターやコラムニストも同様に、世間の半歩先の見解をタイミングよく分かりやすく提示することで人気を博しているのかもしれません。

専門家ですら、企業や行政から活動資金を十分に集めるためには、世間の半歩先の展望を示すことが重要となっているのではないかと思います。良心を優先して強者の思惑から外れると、結果的に世間の数歩先を行くことになって、冷や飯を食わざるをえないように思います。

世間の半歩先を上手に歩むことのできる人が、世間から注目と尊敬を集めることができるのではないかと思います。


(5)数歩先

逆に、世間の数歩先を歩もうと思ったら、特殊な立場に立つ必要があるのかもしれません。

強力な支援者に出会うか、余暇時間をすべて捧げるか… いずれの場合も、世間の同調圧力に潰されることのないよう、目立たないように気をつけたり、時には戦ったりしないといけないかもしれません。(早とちり親切心による切り崩しが一番手強いです)

常識からの同調圧力の強い日本では、世界の最先端と切磋琢磨できるのは、特殊な立場に立つ人だけかもしれません。


(6)ありのまま

話を元に戻すと、一人一人の話をちゃんと聞こうと思うと、時間が足りないように感じるかもしれません。

しかし本当は、人の話の聞き方を知らないため、どんなに時間をかけても理解できないだけかもしれません。人の話を聞いているつもりが、実際には常識や噂話に基づいて早とちりばかりして、誤解を広げているのかもしれません。

常識も噂話も過去の延長でしかありません。目の前の人の話をちゃんと聞こうと思ったら、過去の延長としてではなく、現在の姿をありのままに聞く必要があると思います。常識も噂話も父性論理に基づいていると思うので、目の前の話を聞こうと思ったら母性感性を思い出す必要があると思います。

早とちりをやめて、あらゆる判断を保留して、ただ聞くだけに徹することが大切では無いかと思います。それが当たり前になるとと、シワ寄せのない、しあわせな社会が訪れるのではないかと思います。