法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

常識と噂話は地続きではないか

(1)常識と噂話

私は常識に疎く、噂話に興味がないので、世間のことはあまり知りません。私の興味のあることは、常識や噂話とは無縁の世界だったからです。それでも、会話の端端から常識や噂話の影を感じることはよくありました。(空気を読め、と思われていたのかもしれません)

時々感じた影からの推測ですが、常識と噂話は地続きではないかと思います。常識は、古今東西のものすごくエライ人たちが骨格を作って、次にエライ人たちが肉付けして、その次にエライ人たちが枝葉を整えて… その末端に位置しているのが噂話ではないかと思います。

(なお、ここでいう常識は、言語・計算・慣習・倫理など基本的なものから、学校で学ぶこと、時事、娯楽、専門的なことまで、ありとあらゆることを対象とするものとします。)

常識も噂話も、同じような性質を持っているように思います。例えば、どちらも「こう言う話にしておこう」という取り決めで、様々な思惑が絡んでいるので、一旦確立すると書き換えがとても難しいように思います。また、どちらも流通範囲内においては事実より高い権威を持つように思います。そのため、他者を責めるための強力な武器になると同時に、身を守るための強力な防具としても使われているように思います。

常識や噂話として言語化される以前の状態のものが、社会の空気、場の空気と呼ばれているものかもしれません。


(2)強者と弱者

常識も噂話も、エライ人たちの声が通りやすいのか、強者の視点が強く、弱者の視点が弱いように思います。

そのため、二階建て構造になっていることが多いように思います。例えば、建前では「弱きをたすけ、強きをくじく」ような内容でも、本音では逆に「強きにかしづき、弱気をくじく」ような内容、といった具合です。そして、賛同を得るときは建前で押し通して、実施するときは本音で押し通すように思います。目的を首尾良く達成するために、建前も本音も流通範囲を上手にコントロールしているように思います。(例:建前では復興○○を称えながら、本音では復興をダシにした利権拡大)

また、グローバルな常識よりも、ローカルな常識(=グローバルな非常識)の方が権威を持つことがよくあります(なんと科学技術分野でも!)。遠くのエライ人より、目の前のエライ人の方が、影響力が大きいからかもしれません。

ひょっとしたら、生きていくための知恵として、建前「肩書が立派な人は間違わない」と本音「肩書が立派な人に逆らうと痛い目にあう」の組み合わせは、広く共有された常識かもしれません。


(3)新参者

常識でも噂話でも、新参者の立場は弱いように思います。

例えば、新参者の知らないところで、経歴や印象など表面的な情報をもとにキャラ設定されて、結果は新参者にフィードバックされることはありません。新参者は、周りの人たちの様子から期待される役回りを読み取って行動することが期待されるように思います。(もしかしたら、これは一種の新参者試験なのかもしれません。合格してはじめて仲間として認められるのかもしれません。)

また、一度決まったキャラ設定を変更してもらうのは容易なことではありません。仮に何かをきっかけにキャラ設定が変わっても、本人に知らされることはありません。(したがって、本人の本来のキャラが、周囲が期待するキャラ設定と大きく異なる場合、相当苦労されるのではないかと思います)

そのため、第一印象が人生を左右することはよくあることなのかもしれません。

同様に、新技術・新制度・新型○○等についても、表面的な情報をもとにキャラ設定されるように思います。一度決まったキャラ設定の変更は、容易なことではありません。(そのため市民運動の効果はいつも限定的です)


(4)常識の権威

日本では、常識や噂話が事実よりも高い権威を持つように思います。

そのためか、実験や観察を通して事実や法則を見つける人よりも、常識の範囲内で頭の中だけで答えを出す人の方が、高い権威を持っているように思います。(きちんと調査する代わりに、考えたり想像したりすることが推奨される理由も、ここにあるのかもしれません)

そして、頭で考えた結論に合わせて、都合のよい事実を集めたり、都合よく編集したりすることが、普通に行われているようにも思います。

私は常識や噂話に興味がなく、事実に基づいて考察したいタイプなので、そのようなやり方はどうも説得力を感じません… しかし、常識や噂話を大切にする人たちにとっては、日本で成功するための知恵なのかもしれません。


(5)お金儲け

世間の常識や噂話は、様々な思惑の結果生み出されたものだと思います。

仮に、お金儲け以外の欲望はすべて後回しにできるとします。お金をたっぷり儲けてしまえば、ほとんどのことはお金で解決できるからです。

すると、世間の常識や噂話は気にならなくなると思います。それよりも、事実と論理に基づいて計画を立てて、自分より遥かに優秀な人たちを好待遇で集めて、投資を大きく上回る利益を得ることに専念した方が、よほど効率がよいからです。

もしかしたら、お金儲け以外の欲望を後回しにすることで、冷徹にプロジェクトに取り組んだり、お金儲けのためなら誰とでも手を組めるところが、資本主義のパワーの源泉なのかもしれません。

その結果、すぐれた製品をすばやく世に送り出せることが大きな長所だと思います。その一方で、根本的な動機がお金儲けなので、社会に対する悪影響も、大自然に対する悪影響も見えなくなってしまうところが大きな欠点だと思います。

かつて日本がエコノミック・アニマルと呼ばれていた頃は、こんな感じだったのかもしれません。今でも経済成長している国々は、こんな感じなのかもしれません。

逆に、お金儲け以外の欲望が絡むと、資本主義のパワーを十分には引き出せないのかもしれません。(例:有力者の意向が利益・計画・人事等に大きな影響を与える利権絡み案件)

お金儲け以外の欲望を断捨離して、冷徹に仕事に取り組めるようになるために、マインドフルネスが流行っているのかもしれません。