法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

善意より事実

(1)心の傷

引きこもることを選んだ人たちは、生まれてこのかた、たくさんの経験を通して心に大きな傷を負っているのではないかと思います。そして何かをきっかけとして、小さな殻の中に閉じこもることを選んだのではないかと思います。今の姿は、彼らにとってはベストな選択の結果ではないかと思います。

そのため、仮に第三者から殻から抜け出るように勧められたとしても、彼らにとってはベストな状態からズレてしまう話なので、煙たがられて聞き流されて終わるのではないかと思います。

そこで、まずは世の中に対する認識を改めてもらうところから始める必要があるのではないかと思います。同時に、心の傷を癒してもらうこともとても大切だと思います。


(2)心を守る

例えば、「世の中の人はみんな私のことを攻撃する」と思って引きこもりを選択した人がいるとします。彼らは、世の中は恐ろしいところだと思っていて、自分を守るために小さな殻の中に閉じ籠もることを選んだのかもしれません。殻の中に籠ったまま周囲の人と接するので、周囲からはとっつきにくい人に見えてしまうのかもしれません。

仮にそのような場合には、世の中には攻撃しない人もいる、という認識に改めてもらわないといけないと思います。そのためには、まずは殻の中に籠っている人をそのまま受け入れる必要があるのではないかと思います。仮にトゲトゲしている部分があったとしても、それは心の傷を守るための防御反応なので、気にしない。ただ受け入れる。そして心がほぐれるのを待つ。そこから始まるのではないかと思います。

心がほぐれてくると、防御反応が減ってくると思います。さらに心がほぐれてくると、信頼できるコミュニティの中でなら安心して過ごせるようになるのではないかと思います。やがて、世の中で生きていくための対処方法を身につけていくのではないかと思います。

そうやって、引きこもりを選んだ理由が少しずつ解消されていくように、ゆっくりとお手伝いすることが重要ではないかと思います。


(3)善意より事実

ところで、私も引きこもることを選んだ人です。

前述の例に習って仮に「攻撃する人」がいるとすると、多くは「善意の人」です。ただ想像力が豊かで、本当はこうに違いない、ああに違いないと空想を広げて、私のために一所懸命になってくださる方々です。

ところがそれは、私にとっては事実とは大きく乖離した妄想なので、私を苦しめることになります。善意に基づくだけに、こちらが苦しんで「やめてください」と懇願すればするほど、自信をつけさせようと思うのか、あるいは根性を叩きなおそうと思うのか、勢いづいてしまうようです。彼らが諦めて匙を投げてくださるまで、そのような状態が続きます。

世の中の引きこもりの方々の気持ちを私は存じ上げませんが、もしかしたら周りの人が一所懸命になればなるほど、意図に反して彼らを苦しめてしまうことがあるのかもしれません。

一人一人の事情を理解するのは簡単なことではありません。引きこもっている人間から見ると、善意に基づく妄想ほど恐ろしいものはありません。手加減も際限もないからです。弱者は強者の偽善者ごっこのおもちゃになることしかできないのではないか、と絶望的になったこともあります。

心の傷や心身の不調は、周囲からは簡単にはわからないものだと思います。特に心の傷は、簡単には口にできないような内容だと思います。相手の苦しみを読み取る力と、相手の苦しみを和らげる力が、とても重要になると思います。