法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

同じような状況を繰り返し体験している

(1)この世は鏡

生まれてこの方のことを思い出してみると、同じような状況を繰り返し体験しているように思います。

もしも人生は神様から与えられた公案だとすると、解くべき課題が解けるまで、少しずつ状況を変えながら繰り返し提示してくださっているのかもしれません。同じような状況での体験を比較することで、課題を解きやすくしてくださっているのかもしれません。

そして主要な登場人物は、私自身の一側面を演じているのかもしれません。無意識のうちに、周りの人たちの中に潜むとんでもない部分を引き出しているのかもしれません。そうやって、私自身の姿を少しずつ角度を変えながら客観的に観察する機会を与えてくださっているのかもしれません。

私自身の姿を嫌というほど観察させられるからこそ、(私自身の嫌いな部分をたっぷりと見せつけられるからこそ)、怒りの感情が湧き上がって、冷静に対処できなくなってしまうのかもしれません。怒りの感情がすっかり消えて、慈悲深い態度で冷静に対処できるようになるまで、同じような体験が続くのかもしれません。

とても証明できそうにない仮説ですが、そんな気がしていけません…


(2)人様は鏡

もしも様々な体験の主要な登場人物は、私自身の一側面を演じているのだとすると、人様を責めることにまったく意味がなくなってしまうように思います。

人様を責めることは、実は自分自身を責めることであり、自分自身を責めるヒマがあるのなら、自分自身を変える工夫を重ねるべきだと思うからです。

自分自身がすっかり変わると、日々体験する内容もすっかり変わって、人生が一変してしまうのではないかと思います。

これも証明できそうにない仮説ですが、そんな気がしています…


(3)分析

自分自身を根底から変えるベストな方法は、人それぞれだと思います。

私は屁理屈人間なので(笑)、自分自身を変えるためには、自分自身の内面をじっくり見つめて、分析を重ねて、人間観・世界観・宇宙観を根底から変えていく必要があるのではないかと思っています。

もしも生まれてこの方の体験は実は自分自身の鏡であるならば、これまでの体験をじっくりと思い出して分析していくことも、実は自分自身の内面を見つめることにつながるのではないかと思います。仮に登場人物は私自身の鏡であるならば、私自身の内面の分析が、そのまま登場人物の内面の推測に利用できるのではないかと思います。

過去の体験を分析するときは、まずは他人は他人という気持ちで分析した方が気持ちが楽なように思います。やがて登場人物の内面が少しずつ理解できるようになってくると、彼らも大変な苦しみを抱えていたんだなぁと思えるようになってくると思います。

そこまで分析が進んではじめて、彼らは私の一側面だということを少しずつ認められるようになってくると思います。同じ立場に置かれると、心があまりに苦しくて、私自身もあんな風に振る舞ってしまいそうだなぁ(誤動作してしまいそうだなぁ)と思えるようになってくると思います。

そうやって、私自身の中に潜む自己否定の心を少しずつ見つけては消していくと、段々と心が軽くなっていくのではないかと思います。やがて、心の奥底に潜む大きな大きな心の傷の正体にもたどり着けるのではないかとも思います。

しかしながら、自分自身の内面や体験の分析には時間と忍耐力が必要です。もっとよい方法が見つかれば、そちらの方がよいと思います。