法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

地獄の世渡りと栄枯盛衰

(1)怒りの多い人

これまでの経験から、怒りの感情が湧き上がってくるのは、(1)相手の中に自分の嫌いなところを見たとき、(2)自分の思い込み(妄想世界)が攻撃されたと思ったとき、の2つのパターンがあるように思います。

そのため、自己否定の心が強ければ強いほど、他人の言動に腹を立てる機会が多くなるように思います。

したがって、猛烈な自己否定の心を持つ人は、周りの人たちの言動に触れるたびに、次から次へと強烈な怒りの感情が湧き上がってくるのではないかと思います。彼らにとっては、この世は理不尽な地獄であり、世の中の人たちはみんな鬼か悪魔に見えているかもしれません。

鬼や悪魔が跋扈する世界で生きていくために、彼らなりの世渡りの知恵を身に付けているのではないかと思います。それは世間の常識と比べると、一風変わった知恵かもしれません。パターンはいくつかあると思いますが、ある人たちは次のような世渡りの知恵を身に付けているように思います。


(2)特別に選ばれた人

猛烈な自己否定の心に潰されないよう、自分のことを「特別に選ばれた人間だ」と思いたい人たちがいるように思います。「私はズバ抜けて優秀で、慈愛にあふれ、誰からも尊敬される人物である」。そのようなストーリーを頭の中で作って、そのストーリーが真実であるかのように振る舞います。時にはそのストーリーを語って聞かせ、時には目立つパフォーマンスをして、威厳と慈愛あふれる人物として売り込みます。

しかし実際には、そのストーリーはハリボテです。中身が伴っていないため、現実との乖離を泥縄で埋め合わせしないといけません。彼らにとってはこの世は地獄であり、世の中の人たちは鬼か悪魔なので、常識にとらわれることなく行動するようです。

よく行われるのが責任転嫁です。思うようにものごとが進まなかったときは、他人のせいにして怒り散らします。世の中の人たちは、怒りが激しければ激しいほど疑うことなく信じてしまう傾向があるように思います。自己否定の心が強い人たちにとっては、怒り散らすことは朝飯前です。そこで、あちこちで怒り散らして、責任転嫁してしまうようです。

次によく行われるのが、成果の独り占めです。他人に働かせておいて、できあがった頃に屁理屈をこねて自分の成果にしてしまいます。成果を奪われた人は、何もしてなかったことにされたり、足を引っ張った悪党にされたりします。

また、彼らの理解を超える能力を持つ人が現れた場合にも、徹底的に叩き潰します。彼らは、知識が古くて、理解が浅くて、間違いが多い傾向にあるため、本当の意味で優秀な人の言動はまったくのデタラメに見えてしまいます。そこで、無能な悪党に仕立て上げて、悪い噂を振りまいて、叩き潰してしまいます。彼らにとっては正義感の発露のようです。

彼らのストーリーはハリボテなので、事実を暴かれると崩壊してしまいます。しかし、前述のように自己否定の心の強い人たちは「妄想世界」が攻撃されたと感じると猛烈な怒りが湧き上がってくるため、事実を暴こうとする人たちに対して強く激しい怒りをぶつけることになります。怒りが高じて、権謀術数の限りを尽くします。世の中の人たちは、怒りが激しければ激しいほど疑うことなく信じてしまう傾向があるため、事実を暴こうとした人たちは返り討ちにあって、精神的にも人生的にも、叩き潰されてしまいます。

いずれの場合も、悪い噂は当人に届くことはないので、当人たちは何が起きているのかわからないまま四面楚歌にされて、反論の機会すらありません。

彼らはハリボテなので、評価能力のない人を選んで取り入ります。そして権威ある人物であるかのように振る舞います。喩えるなら、童話『裸の王様』の二人組の仕立て屋のように振る舞います。そして、我が世の春を謳歌しつつ、事実を暴こうとする人たちを徹底的に叩き潰します。やがて、彼らより優秀な人たちはすっかり叩き潰されていなくなって、彼らに従順な人たちだけが生き残れるようになります。

言うなれば、「張子の虎」に取り入る「虎の威を借る狐」の図です。「張子の虎」を御輿に担いで、実質的な権力者になってしまいます。

そのような生き方しかできないにも関わらず、自分のことを「ズバ抜けて優秀で、慈愛にあふれ、誰からも尊敬される人物」だと思い続けることができるようです。傍目には摩訶不思議に見えますが、そのように思い続けることこそが彼らにとっての世渡りの知恵なのかもしれません。

もっとも、少しずつ実態が漏れ伝わって、やがて栄枯盛衰を味わうことになるようです。


(3)この世は鏡

幸か不幸か、私はそのようなタイプの人たちとたくさんご縁をいただきました。そして、人様に言っても俄には信じていただけないような貴重な体験をいろいろとさせていただきました。

この世は自分自身の鏡だと思います。すなわち、私自身も本当は彼らと同じタイプの人間であることを意味していると思います。したがって、私には彼らを責める権利はありません。そんなことをしたら、おそらく「天に向かって唾する」ことになると思います。

それよりも、まずは自分の中の自己否定の心をできるだけ消していくことが重要だと思います。自分の心の中を、たくさんの記憶をかきわけながら奥深くまで覗き込む訳ですから、大変な道のりを歩むことになると思います。幸か不幸か、今の私は日常生活の中でできることは限られているので、もしかしたら貴重な機会を与えていただいているのかもしれません。どうもありがとうございます。