法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

チュンダの功徳

今から2500年前の時代を生きたお釈迦様は80歳で亡くなられたそうです。当時としては高齢だったのではないかと思います。死因は食中毒ではないかと言われているそうです。鍛冶屋を営む青年・チュンダが供養した料理が原因だったようです。お釈迦様を死に至らしめたチュンダの気持ちはいかばかりだったことでしょう…

そのとき、お釈迦様はおっしゃいました。「私はチュンダの料理を最後の供養として逝くのであるから、第一にこの生涯のさとりを大成させ、第二に大般涅槃に至らせてくれたのである。」「私が受けた供養の中でも(成道時の)スジャータのものと並び、我が人生の供養の中で最も重要なものである。」そして付け加えておっしゃいました。「布施を実行する者こそ功徳あり。貪り・怒り・無知(三毒=貪瞋癡)を超越し、人心を超える。」(Wikipedia純陀」より抜粋引用、一部編集)

以前の私は、この最後の言葉がどうしても受け入れられませんでした。善意ほど恐ろしいものはないと思っていたからです。

これまでの人生を振り返った時、人生の転換点には善意の人、正義の人がいました。そして最悪の結果を招いてくれました。私の話をほとんど無視してあれこれ空想して、その空想・妄想こそが真実だと触れ回るのです。その結果、大変困った事態に追い込まれたり、四面楚歌になったりしました。ところが空想の内容は当人には秘密にされるので、何が起きているのかさっぱりわからず、誤解を解く機会も反論する機会もありません。どうやら善意の人も正義感の人も、自分をヒーローとするストーリーを妄想したいようなのです。そして、困っている人を助けたり、悪い奴をやっつけたりしたいようなのです。だから彼らには容赦はありません。完膚無きまでに叩きのめしても、まだ足りないようなのです。悪人は手加減してくれますが、善人は手加減してくれません。再起不能以上にまで追い込んでもまだやめようとしません。だから善意ほど恐ろしいものはないと思ってました。いや、今も思ってます。(正確には「善意に酔った人ほど恐ろしいものはない」と書くべきかもしれませんが、はからいのある善意はいずれにしろ恐ろしいと思います)

でも彼らには重要な役割があるんだと、最近思い始めました。進むべき道へと導く役割です。

例えば現代の道路は網の目のように張り巡らされていて、A地点からB地点に行くのに好きな道を選ぶことができます。景色のよい道もあれば、時間を節約できる道もあります。わかりやす道もあれば、迷いやすい道もあります。生から死へと至る道程の中でも同様に、好きな道を選ぶことができると思います。しかし中には、道に迷いやすい場所もあると思います。そんな時に確実に行き先案内をしてくれるのが彼らの役割ではないか。そのお蔭で体験すべきことを体験でき、味わうべき感情を味わい、身に付けるべき知見を身に付けることができているのではないか。そのために大変な労力を払ってくれている、とても有難い人たちではないか。そんな風に思うようになりました。

そんな風に考えるようになると、前述のお釈迦様の言葉も理解できるようになります。

チュンダの功徳はとても偉大です。お釈迦様が生涯を終えるために重要な役割を果たしてくれたからです。その功徳はチュンダの動機をはるかに超え、チュンダの心情の介入を許しません。布施の動機が大事なのではなく、布施という行為自体が大事なのです。

こんな風に考えられるようになったのは、私自身が「視野狭窄」ならぬ「思野狭窄」になったからかもしれません。思考能力を超えた意志、感情を超えた意志があると実感できるようになったからだと思います。

チュンダの思考や感情をはるかに超えた意志が、お釈迦様の生涯にとって重要な役割を引き受けたのではないか。だからこそ、お釈迦様ははるばるチュンダの元まで旅したのではないか。そして供養を受け、その功徳を讃え、チュンダの三毒と人心を超えていると宣言したのではないか。そう思うと、お釈迦様の言葉はとても納得できます。


「あ〜、そうだったのか!」

この文章を書き終えた私の感想です。「視野狭窄」ならぬ「思野狭窄」な私には、この文章を書き始めた時点ではこんな結論になろうとは、まったく想像してませんでした。なぜだかチュンダのことが気になって、ちょっと調べて書き始めました。そしたらこんな文章が書きあがりました。

「そうだったんですね。恨んでしまってごめんなさい。本当は『どうもありがとうございました。粗忽者なもので、大変なご苦労をおかけしてしまって誠に申し訳ありませんでした。いやいや、本当にどうもありがとうございました。』だったんですね。」

そんな驚きの旧暦3月22日の夜。まさに生まれ変わった気分でこの日を終えることができました。これぞまさに「ありがたい」ことでございます。