法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

善人と悪人

おそらくほとんどの人は、こんな風に思っているのではないかと思います。

「自分はよいことをしている。中にはあまりよくないこともあるけど、自分にはそれをする権利がある。」

ここで「よい」の判断基準が曲者だと思います。人によって大きく異なるからです。傍目にはどんなに変に見えたとしても、その人は上述のように思っているのではないかと思います。


しかし中には、本当に傍迷惑な人もいらっしゃるように思います。

例えば、事実関係を自分に都合がよいように空想して、自分勝手なモノサシで判断して、都合の悪い声には一切耳を貸さない人がいるとします。そのような人は自信たっぷりに「自分はよいことをしている、だから協力してくれ」と触れ回ることができます。

その言葉を裏取りすることなく信じてしまう人が大勢いると、とんでもないことが起きてしまいます。誰かの人生が粉々に破壊れさて、そのトバッチリを受けてたくさんの人が困り果てて、妄想を触れ回った人だけが得をする。それに誰も疑問をはさまないどころか、当然の結果だとみんなが思ってしまう。そんな悲劇が起きかねません。

「よい」ことをしていると盲信できる人は、相手が困り果てて中止を懇願しても聞く耳を持ちません。それどころか、「遠慮してるんだろう」「自信をなくしてるんだろう」と決めつけて、激しい「怒り」の感情が湧き上がってきて、怒鳴ったり、騙したり、暴れたりして、ますます強力に推進しようとします。まったく手加減がありません。


それに対して、「わるい」ことをしているという自覚のある人は、手加減をするのではないかと思います。継続的に「わるい」ことをするためには、生かさず殺さず、証拠を残さず、通報されず、を目標とすると思うからです。

ですから、「よい」ことをしていると思い込んでいる人ほど恐ろしい人はいないと思います。凝り固まった「善意」ほど恐ろしいものはないと思います。「わるい」ことをしているという自覚のある人の方が、まだ対処しやすいんじゃないかな…