NPO法人「抱樸」(北九州市八幡東区)では、出会いから看取りまでともに生きてきた仲間を偲ぶ会を毎年開催しているようです。平成28年(2016年)9月2日に開催された128名の仲間を偲ぶ会での奥田知志理事長の挨拶の抜粋が公開されているのですが、とても印象的でした。この年は7月26日に神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設で元職員が19人を刺殺した事件があり、それを受けたお話でした。
『人の命に、生きる意味のある命と生きる意味のない命はあるのか?命自体に意味があるのではないか?命は生産性や価値で計るべきものなのか?命の重みの方がずっと重要なのではないか?人間そのもの、命そのもの、出会いそのものに意味があるのではないか?もちろん、綺麗事で済ませられないことはたくさんある。しかし人はいつか変わる。否、変わらなくても生きていける。生きてること自体が重要なんだ。』
そんなお話でした。
実のところ冷静になって考えてみると、私は生産性のない人、経済的価値のない人なんですよね。はてさて「私に生きる価値はあるのか?」 この問いに心から「もちろん!」と答えられるようになっておかないと、私以外の人に対しても心から「もちろん!」と答えられないかもしれません…。「○○さんに生きる価値はあるのか?」という問いへの答えは無条件で「もちろん!」じゃないといけないと思うからです。「私だけ特殊な例外なんです」と言うのはありえないと思うからです。
言い換えると、「私自身の命の存在自体に意義がある」と心から思えるようになることは人として必須だと思います。頭で悩み始めると永遠に無理かもしれません…。しかし、内発的な力を借りれば「ポン!」と意識転換できちゃうかもしれません。ポポンのポン!
- 2016年「偲ぶ会」奥田理事長あいさつ (NPO法人 抱樸, 2019-09-04)
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