○排他的な社会は脆弱だと思う。
問題を弱者にシワ寄せしては、その弱者を切り捨てる。最初のうちは効率が良さそうに見えるかもしれないが、それを繰り返しているうちに、やがて弱者が互いに蹴落とし合う悲惨な事態となり、時を経て社会の大部分の人たちが切り捨てられることになる。そこまで進むと、強者だった人たちの権力基盤が消失したも同然となるので、社会の構成員全員が没落してしまう。そして一からやり直し。
排他的な社会は内部崩壊を繰り返す社会だと思う。
○無条件につながる社会は強いと思う。
問題はあって当たり前なので、シワ寄せし合う必要も、我慢する必要も、切り捨てる必要もない。一見バラバラに見えても、みんなどこか居場所があり、役割がある。喜怒哀楽は絶えることがなく、理不尽も絶えることがなく、学びの機会も絶えることがない。いつでもどこでも、誰もが失敗でき、誰もがやり直せる。
自然界ってこんな感じじゃないのかな、だから問題に見えることは実は問題ではないのかも。
下記の記事を読んで、そんなことを思いました。
- 家族代わりの「抱樸」② 無条件で支え、「質より量」 (中外日報, 2019-04-25)
上記記事より『暴行事件後に身元引き受けをどうするか事務局で論議もあったが、「俺ら家族やないか!」との仲間の声が通った。牧師は「松ちゃん、あんたのこと何があっても引き受ける。だから飲まんといて」と告げた。「飲まないなら受け入れる、じゃない。まず無条件につながる、だから駄目なものは駄目と言えるのです」』