法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

低投票率に思う

平成30年(2018年)4月8日(日)投開票の京都府知事選挙は、全国から注目されたものの地元では盛り上がらなかったようで、投票率はわずか 35% だったそうです。このような低投票率で選挙が無効にならないのか心配になりましたが、どうやら投票率がどんなに低くても選挙が無効になることはないようです(間違っていたらごめんなさい)。

その代わり、当選者の最低得票率は決められているそうです。知事選挙で当選者と認められるためには有効投票総数の4分の1以上の得票が必要で、それ未満の場合は仮に得票数がトップでも当選とは認められないそうです(公職選挙法第95条による)。


ところで、下記の京都府知事選挙の投票結果(市区町村別)を見てみると、都市化・産業化が進んでいる地域ほど投票率が低く、田舎が残っている地域ほど投票率が高い傾向があるように思いました。

【広報】京都府知事選挙・京都府議会議員(伏見区選挙区・福知山市選挙区)補欠選挙の投・開票結果をお知らせします。 (京都府選挙管理委員会事務局, 2018-04-09)

これが全国的な傾向かどうかはわかりませんが、なぜそのような傾向が出るのか、仮説をいくつか考えてみました。

(1) 若い世代の投票率は低い?

総務省の下記資料によると、国政選挙においては若い世代の投票率の低さが目立ちます。

【資料】国政選挙の年代別投票率の推移について (総務省)

京都府知事選でも同様の傾向にあるとすれば、都市化・産業化が進んでいる地域には若い世代が多く住んでいると思いますので、地域別の投票率を下げる要因となっている可能性が考えられます。

では、なぜ若い世代は投票率が低いのでしょうか?

ひとつには、年代によって心に響く言葉が異なっているからではないかと思います。例えば、50年前の安保闘争の際のデモと、近年の若者主導のデモでは、様相が大きく異なっています。50年前の若者は「怒り」の矛先を求めていたように思いますが、現代の若者は「共感」を求めているのではないかと思います。そのため、デモの場で語られる言葉は両者の間で大きく異なっているように思います。言葉の違いというよりも視点の違いというべきかもしれません。それがそのまま世代差として残っている可能性は高いと思います。

そのような世代差の存在を考えると、選挙運動において立候補者や支援者が語る言葉は、彼らに近い世代の人たちの心には届いても、若い世代の人たちの心にはあまり届いてないのかもしれません。そのため若い世代の人たちは投票したい候補者を見つけられないまま投票日を迎えてしまい、日々の暮らしの忙しさを優先して投票を棄権することを選んでしまっている可能性が考えられると思います。

(2) 仕事や学業のために一時的に住んでいる人の投票率は低い?

都市化・産業化が進んでいる地域には、「仕事や学業のために一時的に住んでいるだけ」という意識で暮らしている人たちが多いのではないかと思います。そして、そのような方々の中には地域のお客様のような気分があって、遠慮とお任せの気持ちから投票に消極的になっている可能性が考えられると思います。

もしもそのような方々が多いようであれば、その地域に代々住んでいる方々と、人生の一時期に縁あって引っ越してきたと考えている方々とでは、投票行動に大きな違いが見られるのではないかと思います。もしもそのような違いが見られるようであれば、引っ越してきた方々が地域に溶け込みやすいよう、何か工夫が必要なのではないかと思います。地域の一員という気持ちを持ってもらえると、投票に積極的になるかもしれません。

(3) 都市部は刺激が多すぎて心理的に殻を作って生きている人が多いから?

都市化・産業化が進んでいる地域には店舗や催し物が多数あり、様々な人が暮らしています。刺激が多すぎて、お付き合いする範囲を限定しないと暮らしが成り立ちません。そのため、自分で作った心の中の殻に閉じこもって、殻の隙間から世間を眺めるようにして生きている人が多少なりともいるのではないかと思います。そのような方々は、政治や行政とも一歩距離を置いて「おまかせ」「よきにはからえ」と思う傾向にあるのではないかと思います。その結果、投票に消極的になっている可能性が考えられると思います。

おわりに

以上、仮説を3つ書きましたが、現時点ではいずれも私の想像であって、裏付けデータはありません。また、大変申し訳ありませんが、検証する時間も能力もありません。赤っ恥の書きっぱなしで誠に申し訳ありません。