法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

裾野の広さと頂点の奥深さ

日本曹洞宗の歴史を鑑みますと、道元禅師の残された形のままでは乱世を生き延びることは難しかったのではないかと思うことがあります。各時代、各土地における有力者や民衆からの強力な支持がない限り、何が起きるかわからないからです。

そのような観点からは、鎌倉中期に密教的な加持祈祷や祭礼を取り入れて宗派化することで信徒を拡大したからこそ、当時を生き残ることができたのではないかと思いますし、その後も御詠歌を取り入れるなど人々の心を掴む工夫を重ねてきて来たからこそ、今日まで伝わっているのではないかとも思います。

宗教の形骸化が叫ばれる今日においても同様に、現代人の心を掴む工夫が必要ではないかと思います。お釈迦様誕生から約2500年、道元禅師誕生から800年余り。仏教も各宗派も時代に合わせてパッケージを変えることで今日まで生き残ってきたものと思います。同様に、100年なり1000年なりの伝統に縛られることなく、現代人の心を掴む工夫をしていかないと、いずれの宗派もやがては立ちいかなくなるのではないかと思います。

私は宗派のしきたりや伝統よりも、道元禅師のメッセージ、お釈迦様のメッセージに興味があるものですから、個人的にはそういう方向に舵を切っていただけると面白いだろうなと思います。江戸時代初期の「卍山道白(まんざん どうはく)」禅師は曹洞宗派内で「宗統復古運動」をされたそうです。その活動が曹洞宗内の宗学研究の原動力となったそうです。今風に言えば宗派の「ルネサンス」と言うのでしょうか。変化の方向性は様々かと思いますが、今の人の心に届くような形で道元禅師のメッセージを伝えていただけると個人的には嬉しく、またありがたく思います。

言葉を変えると、宗派として魅力的であるためには、裾野の広さと頂点の奥深さの両方が必要ではないかと思います。現代社会では裾野の広さが注目されがちかもしれませんが、そのような時代だからこそ逆に、頂点の奥深さを伝えていただければと思います。

仏教徒でも宗派の信徒でもないものですから、昨日から勝手なことばかり書いております。誠に申し訳ありません。