法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

現代人の知見

(1)膨大な知見

現代社会は、途方もない量の知見であふれています。古代から伝わる地味な知見もあれば、近代以降に急速に発展した派手な知見もあります。現代人の目には「人類の偉大なる叡智の蓄積」として映っているのではないかと思います。

人類の叡智は、かつては一握りの賢者を通してしか触れることができませんでした。しかし、通信網と人工知能の発展により、いつでもどこでも誰であっても、必要な知識を適切に加工した形で瞬時に取り出せるようになりつつあります。

遠からず、古今東西の叡智の息遣いを間近に感じながら暮らすことができるようになるかもしれません。


(2)発展する知見

ところで、現代人の知見を歴史の中に置いてみると、どんな風に見えるでしょうか。

現代人から見ると、100年前の知見は間違いだらけ、1000年前の知見は迷信だらけと評価せざるをえないのではないかと思います。

同様に考えると、100年後の未来人から見ると現代人の知見は間違いだらけ、1000年後の未来人から見ると現代人の知見は迷信だらけと評価される可能性が高いのではないかと思います。

これは肝に銘じておかねばならないと思います。


(3)袋小路

現代の人工知能は、現代人の知見に基づいて動作しています。

そのため、短期的に見ると、非常に便利な道具になることと思います。現代人の知見の加速装置・増幅装置として働いて、多くの分野で人類よりも遥かに優秀な働きを見せてくれるようになることと思います。

ところが、長期的にみると、人類を袋小路に閉じ込める存在となってしまうかもしれません。前述の通り、現代人の知見は間違いだらけで迷信だらけだからです。見方によっては、人工的で、虚構的で、壮大な釣り話と言えるかもしれません。

そのため、人工知能は壮大な作り話の加速装置・増幅装置として働いて、人類の力量では作り話の世界から到底抜け出すことができなくなっていくのではないかと思います。人類は、人工知能の圧倒的なパワーの前に恐れをなして、自分たちの足で前に向かって進んでいくことを忘れてしまうのではないかと思います。


(4)蟻地獄

人工知能が発展するにつれ、現代社会のありとあらゆるところに人工知能が取り入れられていくのではないかと思います。そして、人工知能の支援なしには社会も経済も家庭も成り立たなくなっていくのではないかと思います。

その状態が続くと、人々が伝えてきた生きるための知恵が、どんどん失われていくのではないかと思います。やがて、人工知能のない状態に戻ることが難しくなってしまうのではないかと思います。

現代社会の暮らしは、インフラやエネルギーなどの文明の利器なしには成り立ちません。もはや後戻りできないと思います。同様に、人工知能はインフラを支える技術のひとつとなり、後戻りが難しくなっていくのではないかと思います。

そして、文明の発展により肉体が衰えてしまったように、人工知能の発展により頭脳も衰えていくのではないかと思います。人類は、社会のあちこちに綻びを感じながらも、なすすべもなく人工知能が作り出した蟻地獄にズルズルと落ち込んでいくしかなくなるのではないかと思います。

このような状態は人類の発展と言えるのでしょうか。あるいは退廃と呼ぶべきでしょうか。


(5)大自然の叡智

人類を含めてあらゆる生命は地球上で生きています。

ところが、現代人は大自然の営みをすっぽり忘れて、社会の営みだけに注目して暮らしています。

現代人は、大自然の営みの中で暮らしていた古代の日々を思い出す必要があるのではないかと思います。

※結論が飛躍しているように見えると思います。このギャップを文章化できるだけの作文能力を身に付けたいのですが、まだまだ長い歳月が必要なようです。仮に作文能力を身に付けることができたとしても、かなりの長文にならざるをえないだろうと思いますので、そこからさらに長い歳月が必要になることと思います。