法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

彼岸から此岸へ、そして現代社会に根を張って精一杯生きていく

私は健康状態が普通の人と違うからでしょうか、生きる目的を考えるとき、ついつい今世だけでなく来世以降の永遠の未来まで含めて考えてしまいます。

『悟り』なるものについての見方も、若い頃とはすっかり変わってしまいました。

若い頃は深遠なる叡智を学んで、知識と理解を深めながら懸命に修行することを通して次第次第に『悟り』に近付いていくのだと思ってました。そのため、まずは深遠なる叡智に出会うことが重要だと思ってました。頭デッカチだったんですね。

しかし今は逆に、肉体から顕在意識、潜在意識、さらには心の奥の奥の奥底までつながる見えない通路が仮にあるとして、その通路の詰まりをすっかり掃除して、意識やエネルギーが融通無碍に行き来きできるようになることが重要だと思うようになりました。そのためには、いらないものを削ぎ落としていくことが重要で、学びはそのための補助作業だという認識に変わりました。(詰まり=煩悩など)

やがて通路がすっかり清まると、自分自身が全時空を超えたなにものかと一体化して(彼岸に行って)、改めてこの世を生きる一人となり(此岸に戻り)、現代社会に根を張って精一杯生きていく(彼岸と此岸をつなぐ人として)。この段階まで進んでようやく『悟り』を得たと言えるのではないかと思うようになりました。

※(喩えるなら、ぐるっと180度回って彼岸に行って、さらにぐるっと180度回って此岸に戻ってきて、螺旋階段を一回り昇った心境でもってこの世を生きていく、です)(十牛図で言えば、第1〜8図で彼岸に行き、第9図で此岸に戻り、第10図で現代社会で生きる、です)(此岸から詰まりを掃除するのが漸悟、彼岸から詰まりを掃除するのが頓悟にあたると思います)

そんなイメージを持っているので、『悟り』を得た人は、見えない通路を通して『真善美』や『愛』をこの世に送り込むことのできる湧泉のような人ではないかと思っています。だからこそ、『悟り』を得た人がその場にいるだけで、ただそこにいるだけで、周りの人は自然に喜びがあふれ、幸せな気持ちになるのではないかと思っています。

私も、これから星の数ほど生まれ変わり死に変わるうちに、いつかそんな人になれるといいな…