法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

体格差と円熟度

(1)体格差

人気の高いスポーツ競技は体格によって有利・不利が決まるものが多いように思います。そのため、第一線で活躍できるのは若くて体格に恵まれた人だけ、という競技は多いのではないかと思います。

そのような状況を見ると、私などはついつい「体格差がものをいう競技から、円熟度がものをいう競技へと人気の中心が移っていくとよいのに…」などと思ってしまいます。

しかし、もしかしたら何か理由があって、体格差がものをいう競技に人気があるのかもしれません。


(2)ルール

そこでまず、仮に体格差の影響が小さくなるようにルールを変更するとどうなるのか、考えてみます。

例えば、野球のバッターボックスを小さくして、身長150cmの人ならフルスイングできるけど、身長200cmの人はフルスングできないように、ルールを変更したとします。あるいは、野球場を狭くして、足が遅くても守備や走塁で不利になりにくいようにルールを変更したとします。さらには、ボールもバットも規格を変えて、投げにくくて飛びにくくて減速しやすいものに変更したとします。

はたして、そのようなルールで現在のプロ野球を超える人気が出るかと言うと、、難しいのではないかと思います。野球が好きな人は、プロ野球選手が目一杯プレーする姿をみたいのではないかと思うからです。

仮に上述のようにルールを変えた方が人気が出るようなら、とうの昔に変えていたことと思います。そうなっていないと言うことは、現行のルールの方が人気が高いということを示しているのではないかと思います。また、ソフトボールよりも野球の方がプロリーグとして成立しやすいことからも、そのように言えるのではないかと思います。

野球に限らず、サッカーやバスケットなど、プロリーグのある競技全般で同様のことが言えるのではないかと思います。アマチュアや子どもでも楽しめるようにルールをやさしくした競技が普及していたとしても、プロリーグは本来のルールで競技されることが望まれているのではないかと思います。


(3)トレーニン

人気面だけでなく、トレーニング方法も関係しているかもしれません。

現代的なトレーニング方法では、技巧の向上による上達効果よりも、パワーやスピードを上げることによる上達効果の方が高いのかもしれません。そのため、体格に恵まれている人ほど有利なのかもしれません。

仮に、パワーやスピードの効果を遥かに上回る技巧が登場したとしても、やがて的確な対策が見つかったり、器用な人がまねて突出した技巧ではなくなったりしていくうちに、最後はパワーやスピードの差がものをいう状態に戻ってしまうのではないかと思います。

しかし中には、優れた技巧で体格差をカバーし続けられる選手もいるかもしれません。しかし、まねるためのトレーニング方法を誰も見つけられず、「天才」の一言で片付けられて一代限りの技巧で終わってしまう可能性が高いのではないかと思います。

このように考えると、トレーニング理論が劇的に変わらない限り、体格差が有利に働く状態が続くのは仕方がないのかもしれません。


(4)囲碁

聞くところによると、囲碁の世界でも活躍する棋士の年代が若くなっているそうです。

かつては囲碁に対する感覚がものを言ったので、中年棋士が有利だったそうです。しかし最近は、事前研究(記憶力)と読みの力(思考力)がものを言うようになったので、若手に有利なようです。中韓の若手棋士が途轍もなく強い理由は、若手の強みを生かしきっているからだと聞いたことがあります。

それでは、中年以上の棋士が活躍しやすいように、碁盤のサイズを19路×19路から13路×13路に小さくすると喜ばれるかというと、、人気面を考えると伝統的な19路×19路のままでないと興業として成り立たないのではないかと思います。


(5)天才の普遍化

このように考えると、体格差がものをいう状態は簡単には変わりそうにありません。円熟度がものをいう状態に変わるためには、人々の好みが大きく変わるか、トレーニング理論が大きく変わるかする必要がありそうです。

しかしそれでも、いつの日か体格差ではなく円熟度がものをいう世界になってほしいなぁ… 現代人の常識をひっくり返するようなトレーニング理論が、どこかに隠れていたりしないかな… などと思ってしまいます。

そのための鍵となるのは、「天才」の存在ではないかと思います。現代のトレーニング理論から大きく外れた人たちの体の使い方がいつの日か解明されて、同じような体の使い方ができる人が大勢現れると、スポーツの世界は大きく変わっていくのではないかと思います。現代の「天才」が未来の「当たり前」になると、何もかも大きく変わるのではないかと思います。


(6)未来の人間

スポーツに限らず、パワーとスピードがものをいう分野は多いのではないかと思います。その結果、職人技が精密機械に置き換えられたり、専門職の仕事が AI に置き換えられたりなど、人間は機械に負けっぱなしです。このような状況はいつまで続くのでしょうか…

このような状況を変える鍵となるのは、やはり「天才」ではないかと思います。ただし、現代的な尺度での「天才」ではなく、未来の尺度での「天才」です。現代の常識から大きく外れた人たちの心身の使い方がいつの日か解明されて、そのような心身の使い方が当たり前になってくると、この世は大きく変わっていくのではないかしら…

同様に、「聖人」の心の在り方が当たり前になってくると、この世は大きく変わるのではないかしら…

人類の未来は、「現代の知見」の延長線上ではなく、「古代の叡智」の延長線上にあるのかもしれません。