スミレはヒマワリになることはできません。また、ヒマワリはスミレになることはできません。
しかし、自分がスミレなのかヒマワリなのかは最初は誰にもわかりません。もしかしたら、一生わからないままかもしれません。
何もわからないので、ついつい余計な劣等感を抱いたり、余計な自惚れを抱いたりすることがあるかもしれません。
しかし、そんな余計なことはすっかり忘れて、ただ「いのち」にまかせて生きていくのがよいのではないかと思います。
では、ここでいう「いのち」とは何か?
それはおそらく、「潜在全我」から発する意思のことではないかと思います。
ただ「いのち」にまかせて生きていくとはどんな状態か?
「潜在全我」を発した意志が、「潜在個我」や「潜在判断」で捻じ曲げられることなく、素直に言動に移される状態のことではないかと思います。それが本来の姿ではないかと思います。