昨日の続きです。「信念世界」に重心を置く人たちと、「仮説世界」に重心を置く人たちの、相性についてです。
(1)「信念世界」から「仮説世界」へ
「信念世界」に重心を置く人たちにとって重要なのは、自分の「信念世界」における位置付けや、情報源の権威です。そこで、そこから話を始めます。
ところが、「仮説世界」に重心を置く人たちにとっては、どちらも付加的な情報であって、興味の中心ではありません。一番知りたいのは、事実関係と推論過程です。ところが、「信念世界」に重心を置く人たちからは、そのような話をなかなか聞くことができません。
お互いに重要だと思うポイントが異なるので、話がなかなか伝わりません。
(2)「仮説世界」から「信念世界」へ
「仮説世界」に重心を置く人たちにとっては、まずは事実関係が重要なので、そこから話を始めます。
ところが、「信念世界」に重心を置く人たちにとっては、自分の信念に反する事実関係を語られると、自分の「信念世界」に対する攻撃のように感じて怒りの感情が沸き起こったり、自分の「信念世界」が内部崩壊しそうに感じて不安の感情が沸き起こったりします。そのため、やがて疎まれるようになるかもしれません。
また、「信念世界」に重心を置く人たちにとって一番重要なのは、「信念世界」における位置付けです。極論すれば、事実関係や相手の推論には興味がありません。興味があるのは、自分の「信念世界」のどの部分に当たる話なのか、仮に新規の話だとしたら「信念世界」の一部として受け入れてよいかどうか、などです。ところが「仮説世界」に重心を置く人たちの話をいくら聞いても、そういったことが判断できません。やがて、デタラメと判定されるようになるかもしれません。
(3)相性
このように、「信念世界」に重心を置く人たちと、「仮説世界」に重心を置く人たちの相互理解はなかなか進みません。これは仕方のないことなのかもしれません。