法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

潜在個我と潜在全我

(1)信念世界と心傷我欲

昨日は、外界を対象とした「信念世界」と、内面を対象とした「心傷我欲」について書きました。

「信念世界」は、「○○とは△△なものだ」「きっと□□にちがいない」といった思い込みからなり、宇宙観・世界観・社会観・人間観・人生観等を形作っています。「信念世界」は顕在意識で作られて、潜在意識から参照されます。

「心傷我欲」は、文字通り心の傷や我欲などを指します。本来は一人の人間として生きていくための自己認識を司どる部分ではないかと思います。「心傷我欲」は潜在意識で作られて、潜在意識から参照されます。顕在意識からは直接は見えません。


(2)全我と個我

これ以外に、自他一体感を司どる部分があるように思います。例えば、困っている人、弱い人に寄り添いたいという気持ちのもとになる部分です。

ここでは、自他一体感を仮に「全我」と表現します。また、一人の人間として生きていくための自己認識を仮に「個我」と表現します。どちらも潜在意識に位置しています。

おそらく、「個我」よりも「全我」の方が潜在意識の深いところにあります。そのため、「全我」からの信号は「個我」を経由して顕在意識に伝えられます。もしも「個我」が健全で謙虚であれば、「全我」からの信号は歪むことなく顕在意識に伝えられます。しかし万一、「個我」が心傷や我欲にまみれていると、「全我」からの信号は「個我」によって換骨奪胎されて顕在意識に届きます。場合によっては破棄されるかもしれません。


(3)信念世界と仮説世界

前述の通り、「信念世界」は顕在意識で作られて、「○○とは△△なものだ」「きっと□□にちがいない」といった思い込みからなります。

思い込みによらない方法として、「仮説→実験・観察→考察→仮説の修正」を顕在意識のレベルで繰り返すことで、地に足のついた知見を得ることができます。こうして作られた世界認識を仮に「仮説世界」と呼びます。

「信念世界」は様々な感情のもとになっていますが、「仮説世界」は感情に対してニュートラルです。「信念世界」に浸ることをやめて「仮説世界」に移行するだけで、心が安寧になるのではないかと思います。


(4)まとめ

このように、顕在意識で作られて潜在意識から参照されるものに「信念世界」と「仮説世界」があります。また、顕在意識で作られて潜在意識から参照されるものに「潜在個我」と「潜在全我」があります。

潜在意識はこれらを参照しながら判断を行い、結果を顕在意識に伝えます。顕在意識はそれを鵜呑みにするだけです。ところが、顕在意識は「すべては顕在意識で判断した結果である」と信じてしまうようです。しかし実際には、顕在意識の役割は「信念世界」と「仮説世界」を作ることだけではないかと思います。

おおよそこのような構造になっているのではないかと思います。