法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

怒りの感情の原因(その2)

(1)相手の中に自分の嫌なところを見たとき

一昨日、怒りの感情の原因は、相手の中に自分の嫌なところを見た(もしくは連想した)ことにあると書きました。

当初はそれが唯一の原因だと思っていたのですが、それだけでは説明のつかない場合があることに気付きました。そこで、自分の体験を振り返るうちに、ふたつめの原因を見つけました。


(2)世界認識に反する言動を見たとき

人はそれぞれ、各自の世界認識(宇宙観・世界観・社会観・人間観・人生観等)の中で生きています。それは、生まれてこのかたの見聞や、悩んだり考えたりして得た結論や、強い思い込みなどからなっています。身の回りの人たちと共有する常識でもあります。

その世界認識に反する言動を見たときに、潜在意識のどこかで、怒りの感情が発生するようなのです。例えば、その人が信じる「あるべき姿」に反する言動を見たときや、その人が信じる現実を否定するような言説を聞いたとき、などです。

それが潜在意識から顕在意識へと伝えられる過程で、怒りの感情の理由が脚色されるようなのです。その際、怒りの感情の対象に対して、自分のマイナス・イメージを被せるようです。その結果、顕在意識に届く頃には「あいつは××で、とんでもない奴だ」のような分かりやすいストーリーになっているようです。顕在意識はそれを鵜呑みにします。


(3)世界認識が内部崩壊しそうなとき

前述の世界認識は、不安の原因にもなっているように思います。

すなわち、自分が信じていた世界認識が内部から崩壊しそうなときに、潜在意識のどこかで、不安の感情が発生するようなのです。例えば、聞きたくない知らせを聞いたり、起きてほしくないことが起きたりしたとき、などです。

不安が強くなると「恐れ」になり、さらに強くなると「恐怖」になるようです。

世間では「自信を持て」とよく言われますが、言い換えると「あなたが信じている世界認識が内部崩壊することはないと信じなさい」ということを意味しているのかもしれません。

また、「頑張る」という言葉がけをよく聞きますが、言い換えると「何があっても歯を食いしばって、あなたが信じている世界認識に従いなさい」ということを意味しているのかもしれません。


(4)安心感とストレス

このように、多くの人にとって自分が信じる世界認識はこの世で生きていく上での精神的な拠り所となっているようなのです。そのため、この世で安寧に生きていくためには、堅牢な世界認識を持つことが重要と考えられているようです。

ところが、世界認識を堅牢にすればするほど、怒りの感情が発生しやすくなってしまいます。また、堅牢さを維持するために、頑張ったり、無理したりしなくてはいけなくなります。

そのため、世界認識を堅牢にすればするほど、安心感を得ると同時に、ストレスも増えてしまうのではないかと思います。怒りや不安の原因となるような世界認識は、捨ててしまった方が生きるのが楽になるのではないかと思います。