法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

いまはむかし、むかしのいま

(1)古今

いつの間にか、朝晩の寒さがこたえることもある季節となりました。

ありがたいことに、現代社会では寒風を防いだり必要な暖を取ったりすることが、当たり前に簡単にできるようになっています。しかし、100年前、1000年前の人たちにとっては、寒さを防いだり暖を取ったりすることは、簡単なことではなかったことと思います。

現代社会では、国内外のあちらこちらに出かけることは、当たり前に簡単にできるようになっています。交通手段・宿舎・商店等が発達しているからです。しかし、100年前、1000年前の人たちにとっては、とんでもなく大変なことだったのではないかと思います。安全な往来も、安心して寝食することも、保証されてない場所があちこちにあったと思うからです。

この2点に限らず、現代人は歴史的にみて、驚くほど恵まれていると思います。

しかし、あまりに便利になりすぎて、目をくらまされてしまって、大切なことが見えなくなっているかもしれません。その結果、100年前、1000年前の人たちにとって当たり前だった感受性や適応力をすっかり失っているかもしれません。


(2)古来

明治以降、言葉や文字が変わっただけでなく、暮らしも常識もすっかり変わってしまいました。しかし考えてみると、1000年以上に渡る歴史の中では、暮らしも常識も文化も、時代とともに常に大きく変遷しているのではないかと思います。

そのため、100年前、1000年前の人たちの著作を読み解くためには、当時の人たちの感じ方や生き方を多少なりとも理解できるだけの体験の蓄積と知識の消化が必要ではないかと思うことがあります。

仮に現代人の心のあり方のまま、あるいは現代人の常識のままで読み解こうとすると、誤解することしかできなくて、頓珍漢な理解で終わるのではないかと思います。著者の意図を行間から読み取ることは、夢のまた夢ではないかと思います。

それではあまりにもったいないので、なんとか工夫して、古の叡智に少しでもつながることができるとよいなと思っています。その過程で現代の常識からかけ離れてしまうかもしれませんが、それも仕方のないことかなと思っています。