法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

自己否定の3タイプ(反動・従順・研鑽)と三毒(貪・瞋・癡)

(1)三つのタイプ

自己否定の強い人には、大きく分けて三つのタイプがあるように思います。

  • 〔反動タイプ〕自己否定の心を否定するために、自分は凄いと思い込む。
  • 〔従順タイプ〕自己否定の心に従って、自分を押し殺して、場に従う。
  • 〔研鑽タイプ〕自己否定の心を埋めるために、一所懸命研鑽する。

〔反動タイプ〕は、現実と思い込みの乖離が激しいため、強烈な『シャドー』に振り回されがちのように思います。〔従順タイプ〕は、自分を押し殺したことによるストレスを、弱者に向けがちのように思います。〔研鑽タイプ〕は、自己否定の埋め合わせが目的なので、大きな方向性を見失いがちのように思います。


(2)反動タイプ

このタイプの人には、2種類の人たちがいるように思います。

  1. 怒りの感情のきっかけとなる人物が「稀代の悪党」に見えて仕方のない人たちです。見聞きした情報をつまみ食いして、そこから想像力を膨らませて、「稀代の悪党」としてのストーリーを心の中で作り上げます。それがあたかも事実であるかのように信じて、噂話として広めたり、他の人たちが見ている前で軽蔑的な態度を取ったり、時には罵倒したりします。そうやって「稀代の悪党」に仕立て上げて、蹴落とします。

  2. 野心実現のために他者を利用する人たちです。まず、自分に都合のよいストーリーを思い描いて、それが事実だと強く思い込むようです。そしてそのストーリーを前提として振る舞いつつ、噂話としても広めます。外堀が埋まったら、ターゲットとなった他者を騙したり脅したり暴れたりイジメたりして、野心を実現しようとします。その結果、降伏したら利用し尽くします。降伏しなかったら、報復のため「稀代の悪党」としてのストーリーを噂話として広めて、信用を地に落として立ち直れなくします。

前者が「怒り」の発露であるのに対して、後者は「貪り(むさぼり)」の発露だと思います。いずれの場合も、噂話の流通範囲は自分の話を信じてくれる人たちに上手に限定しているようです。そして、噂話が本人の耳には決して入らないように(すなわち仕組みがバレることのないように)工夫がなされているようです。

※仏教では煩悩の根源は「貪り(むさぼり)」「怒り(いかり)」「愚かさ(おろかさ)」の3つ(三毒)だそうです。もしかしたら「愚かさ」の発露のタイプの人もいるかもしれませんし、複数の煩悩を組み合わせた人もいるかもしれません。


(3)従順タイプ

このタイプの人は、強者に対して従順な一方で、弱者に対して強く出ることがあるように思います。

強者の前では保身を重視するとしたら、それは「貪り(むさぼり)」の発露と考えることができるかもしれません。弱者に対して強く出るときは、もしかしたら「怒り」の発露かもしれませんし、場合によっては「貪り(むさぼり)」の延長かもしれません。


(4)研鑽タイプ

このタイプの人は、大きな方向性を見失いがちのように思います。

ひょっとしたら、「愚かさ(おろかさ)」の発露かもしれません。


(5)共通パターン

こうして見てみると、自己否定が大きければ大きいほど、そして煩悩が大きければ大きいほど、言動が常軌を逸してしまう傾向があるのではないかと思います。したがって、自己否定も煩悩も小さい方が、生きるのが楽ではないかと思います。

また、ひとつひとつの事例の詳細は異なるものの、俯瞰的にみると共通パターンが見つかってグループ分けできるのは、大変興味深い現象だと思います。