法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

事実関係と想像世界の乖離が、怒りや不安の原因ではないか

(1)中秋の名月

昨夜は中秋の名月(旧暦八月十五夜)でした。地球上の広い範囲で観月できたのではないかと思います。お月様もお日様もお星様も、風も雲も虹も、大自然は人間を差別することはありません。

同様に、人の心の仕組みも、差別なく同じ構造で作られているのではないかと思います。そのため、事実と想像の乖離は、誰にとっても怒りと不安の原因となるのではないかと思います。


(2)心の傷

誰しも心のどこかに傷があって、なかなか直視できないことはあるのではないかと思います。そこで心の傷にフタをするために、無意識のうちに事実関係を忘れて、想像で上手に覆い隠しているのではないかと思います。そうやって平安に暮らそうとしているのではないかと思います。

ところが、そうやって生まれた事実関係と想像世界の乖離が、怒りや不安の原因となってしまっているのではないかと思います。乖離が大きければ大きいほど、怒りや不安も大きくなるのではないかと思います。

すなわち、心の傷を忘れるために想像力を働かせた結果、顕在意識からは心の傷は見えなくなって心が穏やかになったものの、潜在意識では心の傷が疼いて怒りや不安の原因となっているのではないかと思います。


(3)尊大

途方もなく大きな心の傷を持つ人は、あまりに苦しくて、その傷にフタをするために、自分を途轍もなく偉大な人物だと想像したくなるのではないかと思います。

そうやって事実に大きく反してまで尊大になるためには、辻褄を合わせるために、他人を途轍もなく貶めないといけなくなるのではないかと思います。そこで平気で、凄んだり脅したり騙したり暴れたりイジメたり権謀術数を弄したりするのではないかと思います。

これは本人が望んだ状態ではないと思います。心の傷にフタをするために想像を大きく膨らませれば膨らませるほど、期待に反して苦しみもどんどん大きくなっていくのではないかと思います。


(4)集団

集団が持つ心の傷も同様だと思います。事実関係をなかなか直視できなくて、想像で覆い隠してフタをしてしまうと、表面的には集団は平安になると思います。しかし、そうやって生まれた事実関係と想像世界の乖離が、集団としての怒りや不安の原因となってしまうのではないかと思います。

そのため、集団内でイライラによる同調圧力が強くなったり、他集団に対して強い怒りを発したりしてしまうのではないかと思います。

また、集団を偉大に見せようとすればするほど、辻褄を合わせるために、弱者にとんでもないシワ寄せが集まるのではないかと思います。ときには、財産ばかりか生命までも平気で奪う事態にまで発展することもあるのではないかと思います。その結果、ハリボテの栄光と、見せかけの連帯感と、激しい攻撃性と、シワ寄せによる地獄が共存する集団になるのではないかと思います。


(5)根本

したがって、根本的には、心の傷をすべて癒さないと、苦しみは取れないのではないかと思います。好みの方法は人それぞれだと思います。残念ながら、お勧めできる方法論は持ち合わせていません…


(6)付記:アヒンサーとサティア

インドの伝統的な五戒のうちのサティア(真実語)は、事実と想像の乖離を禁止します。また、アヒンサー(非暴力)は、事実と想像の乖離が生み出す攻撃的な気持ちを禁止します。そこで心の中を覗き見て、サティアやアヒンサーに反する心の動きがないかどうかを探索すると、大きなフタをして隠していた心の傷が見つかりやすいのではないかと思います。手間暇かかるので、あまりお勧めできる方法論ではありませんが…