法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

表裏の乖離が大きな人は地獄に生きているのかもしれない

(1)理想の姿

理想の自分の姿を思い浮かべて、それを目標に研鑽を重ねる人は多いのではないかと思います。地に足が付いている人は、すばらしい成果をあげることと思います。しかし中には、前のめりになって自分自身を見失っている人が時々いるように思います。一時的なものであればよいのですが、空想力が強すぎて現実が見えなくなっている人が時々いるように思います。

空想力が強すぎる人たちは、理想の自分の姿を想像して、その想像と自分を同一視しているのではないかと思うことがあります。そして、「私は偉大だ」「私は正しい」「私は尊い」と思っているのかもしれません。彼らは、強力な思い込み世界、猛烈な妄想世界に生きているのかもしれません。


(2)現実の姿

もしも彼らが猛烈な妄想世界に生きているとするならば、そしてその妄想世界を心の拠り所としているとするならば、、万一、他の誰かに妄想世界の誤りを指摘されて、妄想世界が崩壊の危機に瀕したとしたら、、強烈な怒りの感情が爆発して、喧嘩を売られたと思うのではないかと思います。

はらわたが煮えくり返って、正常な判断力を失って、倍返しどころか、十倍返し・百倍返しを考えるのではないかと思います。そして常識ではありえない行動に出るのではないかと思います。


(3)二面性

彼らが思い描く自分の姿は、崇高な理想に裏付けられています。そして、可能な限り理想の自分を演じます。特に目上の人の前では、自信と慈愛にあふれた行動を取ろうとするようです。そして理想の自分に見合った現状報告をします。ですから、目上の人からの覚えはめでたいようです。

ところが、目下の人たちからは容赦無く現実の報告を受けます。妄想世界が崩壊しそうになるので、猛烈な怒りが込み上げてきます。現実を受け入れられなくて、目下の人たちに責任転嫁して、目下の人たちがバカに見えて仕方なくなります。

忖度が得意な人は、平身低頭で謝って、上手に他者に責任転嫁して乗り切ろうとするようです。従順であれば大目に見てもらえるようです。

ところが、それができない人に対しては、容赦なく怒りをぶつけます。まずは、脅したり、騙したり、暴れたりとまるでタチの悪いチンピラのように振る舞います。それでも思い通りにならないときは、言うことを聞くまで心身の弱点を攻撃してイジメ倒して、苦しんでいる様子を嬉しそうに眺めて、まさに悪魔のように振る舞います。それだけでは気が済まないようで、妄想を猛烈に逞しくして、気に入らない目下の人を稀代の悪党に仕立て上げます。そして、その妄想をいかにも事実であるかのように言いふらして、四面楚歌にしてしまいます。悪口が本人の耳に届くことは滅多にないので、目下の人たちはなぜ四面楚歌になっているのかさっぱりわかりません。そのため、反論の機会すらありません。そればかりか、仮に目下の人たちが被害を訴えても誰にも信じてもらえず、逆に「大恩ある人物のデタラメな悪口を言いふらす不埒な悪党」というレッテルを貼られて、四面楚歌の度合いがさらに深まります。何を言っても事態は悪化するばかりです。

彼らはなぜこんなに極端な二面性を持ち合わせているのか、以前はとても不思議でした。しかし、売られた喧嘩を買っているのだ、十倍返し・百倍返ししようとしているのだ、報復として相手の人生を叩き潰そうとしているのだ、と考えると、「そんな人もいるかもしれないな」という程度には納得できそうな気がしてきました。


(4)地獄に生きる

もしかしたら彼らは、この世は悪党で満ちている、それどころかこの世は悪魔で満ちている、と思っているのかもしれません。身の回りの人たちが悪党・悪魔に見えて仕方がないのかもしれません。

そこで世渡りの手段として、目上の人に上手に取り入ることを覚えたのかもしれません。内心では目上の人たちのことを悪党・悪魔だと思っているので、平気で騙せるのかもしれません。同じ理由から、目上の人がいないところでは、平気で目上の人のことを悪く言えるのかもしれません。

逆に目下の人に対しては、「不埒な悪党・悪魔は叩き潰してやる!」と思っているのかもしれません。彼らにとっては、目下の人たちは悪党退治・悪魔退治の対象であって、彼らの怒りは正義感の発露なのかもしれません。降伏した人だけが、彼らの妄想世界の中で生きる権利を与えられるのかもしれません。

また、世の中は悪党・悪魔だらけなので、自分が考える正義のためなら道徳も法律も無視してよいと思っているのかもしれません。そして平気で犯罪行為(横領詐欺等)に手を染めるのかもしれません。誰でもやっていることだと正当化しているのかもしれません。

彼らにとっては、この世はまさに地獄なのかもしれません。そこで、地獄に咲くハスの花になろうと懸命に生きているのかもかもしれません。 その結果、美しいハスの花になったつもりで気分よく振る舞う一方で、地獄の世渡りの手段として、他人を騙したり、他人の人生を叩き潰したり、犯罪行為に手を染めたりしているのかもしれません。その姿が傍目には、極端な二面性を持ち合わせているように見えるのかもしれません。


(5)コペルニクス的転回

彼らの立場に立つと、「私こそが正義だ、世の中みんな悪魔だ」と思っているのかもしれません。しかし事情を知る人からすると、「あの人は悪魔のような人だ、周りの人は困り果てている」と思っているかもしれません。こんな風に、「正義」とい名のモノサシが、正反対なのかもしれません。

両者の間には、例えるなら「天動説」と「地動説」くらいの違いがあるのではないかと思います。すなわち、「私こそが世間の中心で、正義は我にあり」vs.「みんな世間で生きていて、正義は世間で決める」という違いです。

彼らが「天動説」を捨てて「地動説」に乗り換えるだけで、世の中が随分と違って見えるのではないかと思います。やがて苦しい地獄から脱出できるのではないかと思います。そして自分が作った猛烈な妄想世界こそが地獄を作り出していたことに気付くのではないかと思います。

彼らが肩肘張って生きるのをやめて、自然体で生きることができるようになると、この世が天国のように思えてくるかもしれません。ほんのちょっと気持ちを切り替えるだけで、そのくらい大きな転回が彼らを待っているのではないかと思います。その後押しができるとすばらしいだろうなと思います。