法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

何を目指して生きているのか?

(1)目指すこと

何を目指して生きているのか? とても難しい問いです。

例えば、子どもの頃に「大きくなったら何になりたい?」と聞かれたとき、知っている範囲から一番好きな職業を選んで答えたのではないかと思います。一種の人気投票でした。大人になって「何をしたい?」と聞かれても、知っている範囲から一番現実的そうなものを選んで答えるのではないかと思います。子どもも大人も、知っている範囲から答える人が多いのではないかと思います。

同様に、「何を目指して生きているのですか?」と聞かれたとき、知っている範囲から現実的そうなものを選んで答える人は多いのではないかと思います。しかしはたして、それは本心を表しているのでしょうか…


(2)結果と過程

例えば私は、身の回りを観察してルールを見つけていくことが好きです。たくさんの経験から共通ルールを見つけては仮説として立てて、もっとたくさんの経験を思い出して検証したり、現実世界で実験したりを繰り返しながら仮説をブラッシュアップしていく過程が好きです。

しかし、「何を目指して生きているのですか?」と聞かれたとき、それを答えに入れ込むことはとても難しそうです。

その理由を考えてみると、「何を目指して生きているのですか?」は『結果』を問うているのに対して、私が好きなのは『過程』だからかもしれません。


(3)磨きに磨く

そうなのでした!

世間はいつも結果を求めているのに対して、私はいつも過程を求めているのでした。私にとって結果は次への通過点で、過程こそが大事なのでした。結果を軽く考えていたのでした。既知の情報に基づいて決めた目標に縛られるよりも、手持ちの知見を磨きに磨いて、さらに先へ先へと進んでいきたいのでした。それが当たり前の感覚だと思っていたのでした。

しかしそれは、世間の大勢とは異なる考え方のようでした。


(4)試しに試す

思い出してみると、私は仮説→検証→考察→仮説を繰り返していくのがとても好きです。既知の常識であっても、一旦は仮説とみなして自分で検証してみたい人なのでした。常識は壊すもの、定説は覆すものだと思っていたのでした。

これも、世間の大勢とは異なる態度のようでした。


(5)摩擦と誤解

おそらく、どちらも世間との大きな摩擦と大きな誤解を生んできたことと思います。

もしかしたら、生まれてこのかたずっと、大きな摩擦と大きな誤解に囲まれて生きてきたのかもしれません。そして心に大きな傷を持ち、それがどんどん大きくなって、誤動作を繰り返す人になってしまったのかもしれません。


(6)草分け

改めて「何を目指して生きているのか?」と考えてみると、二十歳の頃に「You are a pioneer」と会ったこともない人から言われたことを思い出しました。日本語に訳すと「草分け」かもしれません。その場合、評価は後世の人たちに託すことになると思います。

すなわち、海の物とも山の物ともつかない、どこの馬の骨かわからない、無用の長物かもしれない、そんな人を目指している。そんな風に考えると、私の中ではなんとなくしっくりきます(笑) こんなんでいいのかな…