(1)心配症
常識を大切にされる方の中には、大変な心配性の方がいらっしゃるように思います。安心してもらおうと説明すればするほど、不安を募らせてしまうようです。どんな風に説明するとよいのかわからないでいましたが、最近ヒントをいただいたような気がしています。
常識を大切にされる方は、常識から外れること自体が大問題に見えているのかもしれません。常識から少しでも外れていると、心配で心配でたまらなくなってしまうのではないかと思います。いくら「常識から外れても問題ない」と説明されても、まったく納得できなくて、逆に「常識から外れるなんてとんでもないことだ」と不安を募らせてしまうのではないかと思います。
(2)マイナス要素
特に、常識ではマイナスと考えられていることがらについては、大きな不安を抱いてしまうのではないかと思います。そして、何をおいてもマイナス要因の対策を最優先にすべきであり、その対策としては常識的な方法を取るべきである、と考えるのではないかと思います。
そのため、「マイナスに見えるかもしれませんが、○○の理由から、実用的には問題ないですよ」と説明されても納得できなくて、「常識的な対策とは異なりますが、○○の理由から、こちらの方が効果が高いんですよ」と説明されても納得できなくて、ますます不安を募らせてしまうのではないかと思います。
(3)プラス要素
逆に、常識ではプラスと考えられることがらについては、あまり評価しないようにも思います。
例えば、ある分野で常識を塗り替えるような大発見・大発明をしたとしても、世間から注目されることはほとんどありません。ところが、ノーベル賞を受賞した途端に、世間から大きな注目を集めます。
あるいは、マイナーなスボーツで常識を超える大活躍をしても、世間から注目されることはほとんどありません。ところが、オリンピックやパラリンピックで金メダルを取ると、世間から大きな注目を集めます。
もしかしたら、ほとんどの人はプラス要素の中身には興味がないのかもしれません。中身を評価する代わりに、威勢のよさや頑張り具合など表面的なことだけを見て評価しているのかもしれません。ノーペル賞や金メダルなどは、威勢のよさの範疇で評価されているのかもしれません。
(4)印象と中身
このように、マイナス要素は重大視される一方で、プラス要素は軽視される傾向にあるように思います。その結果、あらゆる場面で減点主義が幅を利かせてしまうのかもしれません。
プラス要素が軽視される代わりに、威勢のよさや頑張り具合など表面的なことだけを見て評価されるので、中身より印象を強調した方が世間からの評価を高めることができるのかもしれません。逆に、印象より中身を重視する人は、世間から軽く扱われることを覚悟しないといけないのかもしれません。そのため、中途半端に加点主義を導入すると、中身より印象で差がついてしまう可能性が高いのではないかと思います。
(5)デコボコでOK
私事ながら、私は後遺症の影響とリハビリの成果により、「できること」「できないこと」のデコボコがものすごく大きいです。
そのため、「できないこと」が重視されて、「できること」が軽視される社会では、生きていくことができません。その反対の、「できること」に注目してもらえて、「できないこと」は支援/免除してもらえる社会でないと、生きていくことができません。
また、威勢よく振舞ったり、頑張ったりすることも得意ではありません。その反対の、無駄な力みをなくして、省エネ・ゼロエネを目指さないと、継続的に活動できません。試行錯誤を重ねながら、地道に「できること」を充実させていくことしかできません。
身勝手な考え方かもしれませんが、そのような生き方が許される世の中になるといいなと思います。