法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

潜在能力と五戒

(1)リハビリ

私は後遺症のため、顕在意識の回転力がかなり低いです。

例えば文章を書くにしても、内容から表現まで顕在意識だけで考えて書こうとすると、なかなか前に進みません。しかも、どう頑張っても、内容が薄くて、まとまりも悪くて、分かりにくい文章になってしまいます。また、比較的短い文章しか書けません。(用件を伝えるために文章を書くときは、このタイプの作文になることが多いです)

毎日のリハビリ作文では、潜在意識から上がってくるものを文章化するようにしています。文章のテーマも構成も潜在意識まかせにすると、私自身が読み返したくなるような文章が出てくることがよくあります。文章のテーマを顕在意識で選んだ場合も、そこそこの内容になります。いずれの場合も、リハビリ作文の目的にかなう長さの文章が書けます。(潜在意識にまかせると、どうやら一番の読者である私に向けた文章になるようです)

時々取り組んでいるプログラミングのリハビリも同様で、顕在意識でできることは限られています。そこで、顕在意識は大きな方向性を決めるだけにして、具体的な作業手順は潜在意識にまかせることにしています。潜在意識から浮かび上がってくる作業をひとつひとつ順番にこなしていると、ゆっくりながら着実に作業が進んでいきます。おそらく、潜在意識のどこかに潜んでいる「昔取った杵柄」くんにつながっているのではないかと思います。(ただし、作業速度は発症前とは比較にならないくらい遅いです…)

昨年8月上旬頃から取り組んでいるソリティア(正式名クロンダイク)は、顕在意識の思考能力を少しでも高めることを目的としています。比較的単純な思考しか必要としないので、私でも取り組めます。以前取り組もうとしていた囲碁は、私の顕在意識には複雑度が高すぎるので、潜在意識に上手に頼らないと思考できなさそうでした。(今は囲碁はほぼ放棄してます…)

そのような訳で、私は顕在意識の回転力が低いので、頭脳作業は潜在意識にまかせることが多いです。


(2)顕在意識と潜在意識

私の日々の実感として、顕在意識よりも潜在意識の方が、遥かに高い能力を持っています。

前述のように、私は後遺症の影響で、顕在意識でできることはほんの少しです。この三次元世界を舞台に、五感で感じる、表現を具体化する、行動方針を決める、くらいです。(最近は、単純思考なら多少はできます)

それ以外のこと、特に複雑度の高いことは潜在意識にまかせるしかありません。例えば、思考・感情・記憶、などです。潜在意識の中では、穏やかなことから荒々しいことまで、いろいろなものがうごめいています。また、様々な分野の「昔取った杵柄」くんや、「ちょっと体験したことあるよ」さんが潜んでいます。どこにつながるかによって、取り出せること(できること)が全然違います。

潜在意識からどのような能力を引き出せるかは、顕在意識のあり方によるところが大きいです。そのため、私の顕在意識から雑念を消していくことはとても大切だと思っています。また、私の潜在意識から妄念を消していくこともとても大切だと思っています。


(3)インドの五戒

そのような訳で、顕在意識と潜在意識を清浄にすることは、私にとってはとても重要な課題です。

そのための方法として、インドの伝統的な五戒が効果的ではないかと思っています。ジャイナ教やヨーガでは、次の5つです。

  • Ahimsa(非暴力)
  • Satya(真実語)
  • Asteya(盗まない)
  • Brahmacharya(清らかに暮らす)
  • Aparigraha(持たない)

インドの伝統にどっぷりと浸かっている人であれば、それぞれの本来の意味をご存知かと思います。しかし私はインドの伝統には疎く、また私が目にすることのできる紹介文は門外漢向けのものばかりです。そのため、五戒の本来の意味は推測するしかありません。


(4)アナスタシア

最近、アナスタシア・シリーズを読みました。シベリアに住むアナスタシアの暮らしや考え方は、現代社会に暮らす私たちとは大きく異なるものでした。

偶然か必然か、私にはインドの伝統的な五戒を守っているかのようにも見えました。太古から伝わる叡智に従うと、地域や時代に関係なく、生き方に共通な側面が現れるのかもしれません。逆に言えば、アナスタシアの考え方・行い・暮らしなどから、インドの伝統的な五戒をいくばくか推測できるかもしれません。

五戒の本来の目的は、人間の能力を極限まで引き出すための基礎を作ることにあるのではないかと思います。基礎体力ならぬ基礎心力を高めることが目的ではないかと思います。単なる道徳律ではないと思います。したがって、五戒の本来の意図を理解した上で、五戒を守るべく研鑽を続けると、人間が本来持っている能力が少しずつ開かれていくのではないかと思います。

五戒の本来の目的を理解するためのヒントは、アナスタシアをはじめとして現代社会から遠く離れたところで暮らしている人たちの中に残されているのではないかと思います。


(5)アウトサイダー

ただし、インドの伝統的な五戒を厳密に守ろうと思うと、現代社会の価値観から大きく離れてしまうかもしれません。

例えば現代社会では、「怒るべきときは怒る」「相手を傷つけないように嘘を言う」などは道徳的な行為とされているように思います。しかし五戒を厳密に守ろうとすると、これらはできなくなってしまいます。

そのため、五戒を守ろうとしていると、いつの間にか現代社会からはみ出てしまうかもしれません。しかし、私のように後遺症で脳力が随分と落ちてしまった人は、ただでさえ現代社会の道徳に従う余裕はあまり残されていません。したがって、現代社会からはみ出てしまうことは、もはや仕方がないことだと思っています。

どんどんわがままになってますね… どうもすみません。。