法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

症状は治ろうとしている姿と苦しんでいる姿の二重写し

病気の症状は、病気を治す過程であるとよく聞きます。

例えば風邪を引いて発熱するのは、体温を高めることで侵入者(ウイルスや細菌)と戦うためであり、食欲がなくなるのは闘病に専念する(体内にエネルギーの貯蓄が十分あるので、消化のために貴重なエネルギーを使わない)ためだと聞いたことがあります。

と言うことは、風邪の症状は、治ろうとしている姿と、苦しんでいる姿の二重写しと考えることができるのではないかと思います。症状が重い時には苦しみの緩和が必要な場合があるかもしれませんが、基本的にはじっと寝ていれば、やがて時間が解決してくれることと思います。


同様に、心が壊れた人がいるとして、その人の心の状態は、心を治す過程が現れたものだと思うことはできるでしょうか。心が壊れた人の言動は、治ろうとしている姿と、苦しんでいる姿の、二重写しと考えることはできるでしょうか。苦しみが重い場合はケアが必要かもしれませんが、基本的には時間が解決してくれると思ってよいでしょうか。見守っているのが一番よいのでしょうか。

あるいは、人生が壊れた人がいるとして、その人の人生の現状は、人生を治す過程が現れたものだと思うことはできるでしょうか。人生が壊れた人の生き方は、治ろうとしている姿と、苦しんでいる姿の、二重写しと考えることはできるでしょうか。苦しみが重い場合はケアが必要かもしれませんが、基本的には時間が解決してくれると思ってよいでしょうか。見守っているのが一番よいのでしょうか。

体が壊れるのも、心が壊れるのも、人生が壊れるのも、すべてはつながっているのでしょうか。すべては「いのち」がより自由闊達になるためにあるのでしょうか。


そんなテーマで作文してみたいと思いつつ、、今日は何も書けませんでした。。

文章を書くときは、多くの人はアタマでストーリーを考えて、それを文章に落としていくものかもしれません。しかし私は複雑なことをアタマで考えることができないので、潜在意識のどこかとつながるのを待って、そこから湧き上がってくるものを文章化するようにしています。

そのため、私の作文脳力の限界に挑戦するような長い作文となることもあれば、逆に潜在意識のどこにもつながらなくて何も書けないこともあります。潜在意識となかなかつながらないときは、とりあえずテーマを決めて書き始めると、途中でどこかにつながることもありますし、やっぱりつながらないままのこともあります。

脳に疲労がたまっているときほど、つながりにくいような気がしてます。今日はつながりませんでした。

若干不便ではありますが、きっと、基本的には時間が解決してくれることと思います。