(1)ガット・フィーリング
英語には「gut feeling」という言葉があるそうです。直訳すると「はらわた感覚」ですが、意訳すると「勘」のような意味になるそうです。
英語の「gut feeling」が具体的にどのような感覚を指すのか知らないので、代わりに我流で「はらわた感覚」にいろいろと質問してみました。具体的には、「○○ですか?」と質問したり、「○○です」と宣言したりしたときの、鳩尾(みぞおち)から腹部にかけての感覚を観察します。スッキリ感があれば YES、違和感があれば NO と解釈します。
何十回、何百回と様々な質問を繰り返して、腑に落ちる答えを探ってみました。以下に結果の一部を書いてみます。読んでいただければわかるように、まぁファンタジーですね(笑)
(2)三つの意識
私の中には破壊的な感情があります。自分なり他人なりをやっつけてしまいたいという感情です。その感情は何のために存在しているのか?それを探っているうちに、私の中には、表の意識、中の意識、奥の意識があるらしいことがわかりました。
表面に近いところにある意識が大切にしているのは、どうやら「まわりに合わせること」のようです。周囲の人たちが考えてていることや望んでいることを大切にしようという意識があるようです。
少し中に入ったところにある意識が大切にしているのは、「愛(Love)」のようです。これはキリスト教圏で時々聞く「pure unconditional love」(純粋で無条件の愛)のことかもしれませんし、仏教で聞く「慈悲(抜苦与楽)」のことかもしれません。
さらに奥にある意識が大切にしているのは、「宇宙の平和」のようです。世界平和よりも範囲が広いようです。
(3)破壊的な感情
ところが、表の意識と中の意識の間に、破壊的な感情がドンと居座っているようなのです。
そのため、表の意識が大切にしている「まわりに合わせる」ことに否定的になったり、中の意識が大切にしている「愛(Love)」を押し殺したりしているようです。(ご存知のように、私は自己中心的で冷淡な人間です)
では何のために破壊的な感情が存在しているのか?
どうやら破壊の本当の対象は、私自身が作った妄想世界のようです。自分自身で作った自分自身に対するワクを取っ払うために、破壊的な感情が存在しているようです。
ところが私は、破壊的な感情の使い方が上手ではないようです。そのため、自分を痛い目にあわせて、その体験から学ばないといけなくなっているようです。おそらく、私のバグの原因もこれだと思います。もしも破壊的な感情の使い方が上手であれば、妄想世界だけを上手に破壊することができて、この世での大難が小難になるのかもしれません。。
(4)不動明王
そのような訳で、私は「破壊的な感情」との関係性を改めないといけないようです。
「破壊的な感情」だと思うと、ついつい排斥すべきものと考えてしまいます。しかし大切な役割があるのであれば、「破壊的な感情」というラベリング自体に問題があるのかもしれません。例えば「不動明王」だと思うと、関係性が随分と違ってくるかもしれません。
「我がうちなる不動明王よ、護り給え、導き給え」
この呪文でスイッチが入るといいな…