法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

心の大きな傷が直接・間接にあらゆる言動に影響を与えるているのではないか?

(1)駆け引き

お土産やお裾分けなど簡単な贈り物をするとき、場合によっては遠慮されることがあります。パッと見に実際以上に高価に見えるため遠慮される場合もあれば、不要な品物なので遠慮される場合もあるかもしれません。そこで簡単なやりとりを通してお互いの真意を推測して、お渡しするかどうかが決まります。真意を読み損ねると、お互いに悲しい気持ちになることがあるかもしれません。

商取引の場では、駆け引きが行われることがあるのではないかと思います。例えば、適切なタイミングで押したり引いたりすと、相手からよりよい条件を引き出せるかもしれません。しかしタイミングを間違えると、取引が流れてしまうかもしれません。

夢いっぱいの恋の駆け引きでも、適切なタイミングで押したり引いたりするとハッピーエンドにつながることと思います。しかしボタンのかけ違いが起きると、お互いの人生が暗転してしまうかもしれません。

相性もあるでしょうが、駆け引きというのは本当に難しいものだと思います。(私にはできません…)


(2)上下関係

学校の先生と生徒の関係を思い出してみます。

ある先生は、生徒に対して友達感覚で接するとします。Aさんは「のびのびと勉強に取り組めてありがたい」と思うかもしれません。一方、Bくんは「緊張感が足りなくて、授業中に眠たくなるので困る」と思うかもしれません。

またある先生は、生徒に対して威圧的な態度で接するとします。Aさんは「緊張しすぎて授業に集中できない」と思うかもしれません。一方、Bくんは「適度な緊張感があるので、授業に集中できてありがたい」と思うかもしれません。中にはCさんのように「怖いので(幼い頃の恐怖体験がフラッシュバックするので)、授業に出たくない」と思う人もいるかもしれません。

もしかしたら、会社の上司と部下の間にも同じような話があるかもしれません。

相性もあるでしょうが、上下関係というのは本当に難しいものだと思います。


(3)煩悩とマインドセット

なぜこのような話を書いたかというと、日常生活においても職場においても、誰しも煩悩やマインドセットに操られているのではないかと、最近思うようになったからです。(マインドセットは「思考様式」のような意味だそうです)

理性に完璧に従って行動できる人は少ないと思います。どこかしら感情の影響を受けているのではないかと思います。心がよい状況にあれば、ベスト・パフォーマンスを引き出せるのではないかと思います。しかしときには、感情に乗っ取られることもあるかもしれません。心の奥底に押し込めていた大きな大きな傷が疼いて、冷静さを失ったり、煩悩に操られたりするからではないかと思います。

また、仮に理性に完璧に従っているとしたら、どこかで学んだマインドセットに完璧に従っている状態ではないかと思います。そのマインドセットは自分の中から出てきたものではない以上、マインドセットに操られていると言ってよいのではないかと思います。


(4)傷を消す

もしも、人は誰しも煩悩とマインドセットに操られて生きているとしたら、、不可解な言動をとる人も、煩悩とマインドセットに操られているからである、と考えることができるように思います。

マインドセットの取捨選択には煩悩が大きく影響しているのではないかと思います。すなわち、心に大きな大きな傷を持つがゆえに強烈な煩悩を持ってしまい、それがゆえに特殊なマインドセットを選んでしまったと考えることができるのではないかと思います。その結果、不可解な言動を繰り返したり、すぐに感情的になってしまう、と考えることができるように思います。

もしもそうであるならば、不可解な言動を繰り返す人を一所懸命に責めるだけでは、本質的には何も変わらないのではないかと思います。一番大切な大切なことは、不可解な言動を繰り返す人の心の奥底に潜む大きな大きな傷を癒すことではないかと思います。それができてこそ、その人の心が救われ、煩悩が小さくなり、やがてマインドセットが穏やかになっていくのではないかと思います。

言い換えると、人を責めることは「対症療法」にあたるのではないかと思います。短期的には、目の前の不可解な言動を止めることはできるかもしれません。しかし、心の大きな傷が癒えない限り、形を変えて様々な不可解な言動が繰り返されるのではないかと思います。したがって長期的に考えると、根本的な原因である心の大きな大きな傷を癒す方向で考える必要があるのではないかと思います。


(5)視点を変える

このような視点を持って記憶の貯蔵庫に飛び込むと、過去に対する認識が変わっていくかもしれません。また、このような視点を持って世の中を見渡すと、世間に対する認識も変わっていくかもしれません。そして、このような視点を持って自分を見つめると、自分に対する認識も変わっていくかもしれません。

この視点には、それだけのパワーが内包されているのではないかと期待しています。