法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

ニュー・ファクトの時代

(1)ニュー・スピーク

ジョージ・オーウェルの小説『1984年』の舞台は、「オセアニア」と呼ばれる全体主義超大国だそうです。オセアニアの公式言語は「ニュー・スピーク」と呼ばれるもので、旧来の言語「オールド・スピーク」と比べると語彙が随分と削られていて、党のイデオロギーに反する思考ができなくされているそうです。

なんとも恐ろしい言語ですが、これまでは架空の世界のお話かなと思っておりました。


(2)ニュー・○○○○の時代

この1年、世間は『○○19』の話題で持ちきりです。

聞くところによると、SNS などで運営会社の認識に反する投稿をすると、ペナルティーを受けることがあるそうです。ネット検索でも、運営会社の認識に反するページは検索対象とならないことがあるそうです。ひょっとしたら、運営会社が秘密裏に独自基準で検閲する「ニュー・インターネット」の時代が到来したのかもしれません…

また、大規模な学会の開催が難しくなったため、学術的な議論をオープンな場で行う機会が激減しているようです。ひょっとしたら、メーカーの言い分がそのまま流布される「ニュー・サイエンス」の時代が到来したのかもしれません…

1949年に出版された小説『1984年』は架空の世界のお話かと思っていたら、『○○19』を引き金として現実の世界に飛び出してきたかのようです。。(偶然にも35年ごとですね)


(3)ニュー・ファクトの時代

ファクト・チェックで重要なことは、結論に至った理由がオープンになっていることだと思います。誰もが検証や議論に参加できてこそ、信頼性の高いファクト・チェック活動ができるのだと思います。

ところが、いつの間にかファクトが密室で決められる時代へと変貌しつつあるのかもしれません。そして同時に、責任者は説明や質疑の仕方を忘れ、人々は検証や議論の仕方を忘れてしまったかのようです。ひょっとしたら、旧来の活発な「オールド・ディスカッション」は忘れ去られ、忖度に基づく「ニュー・ディスカッション」の時代へと変遷しつつあるのかもしれません…

小説『1984年』では政府内に「真理省」が設置されました。一方、現代では超巨大な多国籍企業が「ファクト」を決めて、政府が粛々と従う時代へと移行しつつあるのかもしれません。資本の論理が国家の論理より上位に位置付けられるだなんて、ひょっとしたら、小説を凌駕する「ニュー・ファクト」の時代が到来しつつあるのかもしれません…

小説『1984年』では全体主義国家が人々を統治しようとしたそうですが、現代では人々が自ら進んで超巨大企業の威光にひれ伏そうとしている。。小説『1984年』より恐ろしい時代になりつつあるのかもしれません…