法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

高名な専門家と無名の素人

(1)高名な専門家

世の中には様々な分野の専門家がいらっしゃいます。日頃は裏方として活動されてますが、世の中で大きな出来事が発生すると、表舞台に出て来られます。そして政府に具申したり、メディアで見識を表明されたりします。

今世紀に入ってからも、大きな出来事はいくつもありました。戦争・紛争、金融危機原発事故、大災害、感染症等々…

私の勝手な感想なのですが、専門家と呼ばれている人たちは、本当によい仕事をされているのでしょうか… ひょっとしたら、政財官学の利権の海を上手に泳いで各界の利益を増進できる人だけが、専門家として政財官学から高い評価を受けていたりしないでしょうか…

逆に、事実に忠実で利権構造を破壊しかねない人や、一般大衆の視点に立って発言する人は、政財官学から冷遇されたり、追放されたりしてないでしょうか…

それなのに、世間の多くの人たちは、政財官学から高く評価される人を優秀な専門家だと思っていたりしないでしょうか…

私がリスペクトしたくなる方々は、なぜか社会的にはあまり高く評価されてないことが多いです。


(2)素人の節穴

私はどうも肩書きや役職には興味がなくて、どんな視点でどんな考察をされる方か、ということに興味があります。そして、きちんと調べて、きちんと吟味していると思われる方の発言を重視します。

もちろん私は素人ですので、客観的に見れば私の目は節穴です(笑)。しかし、肩書きや役職よりも、素人の節穴を通して情報を取捨選択して、素人の節穴なりに判断したいと思っています。

そうすると、社会の常識とは大きく異なる結論を得ることがよくあります。もしかしたら、ほとんどがそうかもしれません。そして現代社会の常識と比較すると、まったくの非常識人になっているかもしれません。きっと、これから人生経験を積めばつむほど、ますます非常識人の度合いが高まっていくことと思います。


(3)究極の共有物

これからますます非常識になっていくと言うことは、世間の人たちとますます話が通じなくなっていくと言うことでもあります。そして、ますます世間からの信用がなくなっていくと言うことでもあります。それ自体は仕方のないことだと思っています。

しかし、コミュニケーションが成立するためには、何がしかの共通点は必要だと思います。常識・非常識に関わらず、生きとし生けるものが共通に持っているもの…

 非常識を極めるのなら、共通点も極める必要があるのかな…

そう言う方向性を忘れかけてましたが、本当はとても大事なんですね。