(1)水戸黄門
子供の頃はテレビっ子で、帰宅してから就寝までテレビを何時間も見てました。宿題をやってたかどうか怪しいくらいに見てました。その頃よく見た番組のひとつに『水戸黄門』があります。聞くところによると、若干の休止期間を含めて40年以上続いたそうです。まさに世代を超えたお化け番組でした。
『水戸黄門』のハイライト・シーンと言えば、印籠(いんろう)を取り出して「この紋所が目に入らぬか!」と正体を明かす場面です。徳川家の家紋を見て、敵も味方もみな平伏してしまいます。
家柄が恐ろしいほどのパワーを発揮する場面に、多くの日本人は溜飲を下げていたのではないかと思います。「家格が高い=正義」と捉えられていたのかもしれません。今から思うと不思議な場面でした。
※印籠=常備薬の携帯容器
(2)箔付の効能
私は小学校高学年の頃に非言語思考に移行しました。その影響かどうかわかりませんが、私は概念的なことには興味がありますが、標識的な名前にはあまり興味がありません。
例えば、社会的ステータス(家柄、肩書き、年収等)にも、お墨付き(学歴、職歴、資格、病名等)にもあまり興味がありません。社会生活を営む上で最小限のもの(運転免許証等)さえあればよい、と思っています。
しかし、日本は『水戸黄門』が長寿番組となる素養のある国です。世の中全体で見ると、社会的ステータスやお墨付きを重視する人は多いのかもしれません。そのため、そういったもので箔をつけておかないと、社会生活を営む上でマイナスに働くことが多いのかもしれません。例えば、信用されなかったり、見下されたり… (私にはあるあるです…笑)
(3)宝物は大切に
そのため、より快適な人生を過ごすために、ご自身の経歴磨きに必死になって取り組んでこられた方々は、世の中にはたくさんいらっしゃるのではないかと思います。そのような方々にとっては、ご自身の経歴は宝物ではないかと思います。さらには、ご家族の経歴も、一族の経歴も宝物かもしれません。宝物に対して失礼のないよう、気をつけて接したいと思います。
とは言え、どんな風に接すると失礼にあたらないのか私にはよくわかりません。従って、立派な経歴をお持ちの方々とはちょっと距離を置くのが、お互いにとって幸せかもしれません。
(4)有力と無力
かく言う私は、経歴には今もってあまり興味がありません。かと言って、もちろん中身もありません。
と言う訳で、何にもないまま、ありのまま、着の身着のままで生きていこうと思います。
ひたすら溜め込んでこそ得られるパワーと、何もかも手放してこそ得られるパワー。
今の私は後者を目指したいと思っています。