法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

名ばかりの専門家、名もない専門家

(1)目立つ専門家

日本では立派な肩書きを持つ人の発言が信頼を集める傾向があるように思います。

しかしながら、日本では立派な肩書きを持つ人は、予算や人事や会議などで忙殺される傾向があるのではないかと思います。そのため、肩書きが立派になればなるほど、情報通になったり影響力が大きくなったりする反動で、専門分野についての知見は古くて浅くて間違いの多いものになっていく傾向があるのではないかと思います。(偏見たっぷりで申し訳ありません)

そのように思っているので、専門家の意見を聞くのであれば現場で汗水垂らして働いている人に限る、と私は思っています。


(2)現場の専門家

現場で働いている専門家の中にも、いろいろなタイプの人がいると思います。

私は、上意下達タイプの人や、俺様はエライんだぞ病の人の話には興味がありません。

私が聞き耳を立てるとしたら、自分なりの視点を持って現状分析をしている人に限ると思います。そのような人の話は100%正しいとは限りません。むしろ、暗中模索で試行錯誤されているでしょうから、間違いが多いかもしれません。しかし、中間報告的な玉石混交の話の中に、途轍もない宝物がたくさん眠っているのではないかと思います。だからこそ、興味深いと思います。宝物を見極められる知見がないと「猫に小判」や「馬耳東風」になりそうなところも、スリルがあっても面白いと思います。


(3)広報の専門家

日本で立派な肩書きを持とうと思ったら、人事権のある人に認められないといけません。

例えば、役所に取り立てられようと思ったら、役所におもねらなくてはなりません。企業に取り立てられようと思ったら、企業におもねらなくてはなりません。日本では、出世すればするほど、言いたいことが言えなくなってしまうのではないかと思います。

そのように思っているので、日本で立派な肩書きを持っている人は、極端に言えば「広報担当」と思ってもよいのではないかと思ったりしています。(偏見たっぷりで申し訳ありません)


(4)型破りな専門家

逆に言えば、立派な肩書きを持ちながらも、自分自身の言いたいことをきちんと発言できている人は、とてもすごい人だと思います。

そのような人は世間からは「型破り」と評せられているかもしれません。型破りな人がどんどん出てくるといいなぁと思います。