法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

相手の土俵に降りる生き方

(1)俺様はエライんだぞ病

今夜も昔のことを色々と思い出しています。

半年ほど前の 9/11(金) に「俺様はエライんだぞ病」の人たちについて書きました。私の記憶の中での彼らの特徴は、(1)人事権・予算権を握っている人たちの前では良い子ちゃんとして振る舞う、(2)仲間の前では態度はでかいけど良き仲間であろうとする。その一方で、スキあらばマウントを取ろうとする、(3)目下の人たちの前ではエラそうに振る舞う、(4)見下している人たちの前では横暴に振る舞う、でした。


(2)心のバランス

今夜、改めて彼らのことを思い出していたのですが、もしかしたら彼らは「自分ができないことを軽々とできる人たちがデタラメに見えて仕方がない」のではないか、そして「あいつはデタラメだと激しい怒りに包まれてしまって、自分の話を信じてくれそうな人にその妄想を強く激しく訴えて回る」のではないか。そんな風に思うと、いろんなことが説明つくように思えてきました。

本来、人は一人一人まったく違った人生を歩んでいて、できること、できないことは一人一人まったく違います。

ところが、「俺様はエライんだぞ病」の人たちは、「俺様はエライ、あいつはバカだ」と思わないと心のバランスが取れない人たちです。万一、自分にはできないことを、自分が見下している人物が軽々とやっている姿を見ると、心のバランスが取れなくなって、激しい怒りが湧き出て来るのではないか。そして、「アイツらがやってることはデタラメだ」というストーリーを妄想して、それを言いふらして回らないと、気が済まないのではないか。そんな風に思えてきました。

彼らにとっては、それは仕方のない行動なんだろうと思います。

しかし実際には、彼らのストーリーの方がデタラメなので、妄想を言いふらされただけの罪のない人たちがトバッチリを受けることになります。まぁしかし、「俺様はエライんだぞ病」の人たちと共存して生きていくためには、これは仕方のないことなのかもしれません。。


(3)何ができるか

では、「俺様はエライんだぞ病」の人たちの心のバランスを崩さないようにするためには、どうすればよいのでしょう…

一番良いのは、「一人一人できることは全然違うので、あなたにできないことを他の人ができたとしても、それは不思議のないことですよ。あなたにも得意なことはあるでしょ」、と納得してもらうことかもしれません。しかし、見下している人からそんな風に言われても、彼らはなかなか納得できないのではないかと思います。

次善の案としては、「実は私には○○という経験や実績があるので、これはできて当たり前なんですよ」、と伝える手があるかもしれません。しかしやっぱり、見下している人からそんな風に言われても、彼らはなかなか納得できないかもしれません。

別次元の案としては、彼らの上司に上手に取り入って高く評価してもらったり、社会的に努力して高いステータスを得たりして、彼らと対等以上の立場に立つと、話が丸く収まりやすいかもしれません。そればかりか、話を聞いてもらいやすくなるかもしれません。ある意味で、彼らの土俵に降りていく行為ですが、それが一番納得してもらいやすいのかなぁ…


(4)降りていく生き方

菩薩とは、人々を苦しみから救うために「降りていく生き方」ができる人のことだと思います。

そういう観点からは、誰かを救うために社会的ステータスを捨てることも、逆に誰かを救うために社会的に高いステータスを得ることも、どちらも「降りていく生き方」なのかもしれません。結果ではなくて、動機が大切なんですよね。きっと。

「降りていく生き方」ができると素晴らしいだろうな… (というのが今夜の結論です)