法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

幼な子の心

(1)「聴覚情報処理障害」もどき

私は脳の回転力が遅いので、早口は聞き取ることができません。

普通速度の会話でも、ちゃんと聞き取ったり発話したりするためには、一時的に脳の回転速度を高めないといけません。その時間があまり長くなると、脳の疲労がなかなか取れなくなって、後で数時間休憩が必要になったり、時には数日間休憩が必要になったりします。そのため、普段は会話は短めで切り上げるようにしています。

音としては聞こえているのに、言葉としては理解できない症状が存在することは知られているようで、「聴覚情報処理障害」で検索するといろいろと情報が見つかります。(英語では Auditory Processing disorder (APD) と言うそうです)

私の場合は、脳の回転力を上げると聞き取れる範囲が広がる代わりに、脳に大きな疲労が残ります。単純な「聴覚情報処理障害」ではありませんし、私が「脳が疲労する」と表現している状態を健康な人が経験することはないので、誤解を招くことが多いです。

そのような訳で、会話の機会はできるだけ避けていますが、場合によっては(多少の疲労を覚悟して)会話を楽しむこともあります。会話がまったくのゼロだとやっぱり寂しいからです。


(2)対面での工夫

聞くところによると、聴覚障害者の中には、発話者の唇の動きを読むことができる方々がいらっしゃるそうです。そのためマスクで口元が見えなくなると、コミュニケーションが難しくなるそうです。

私は口の動きを読むことはできませんが、相手の全身から発せられる雰囲気を発話内容のヒントにすることがよくあります。具体的にどのような動きをヒントにしているのか、私自身にもわかりませんが、表情や目の動き、体の様子、身振り手振り、呼吸の具合、発話の間合いなど、様々な情報から無意識のうちに何かを読み取っているようです。

そのため、全身から発せられる雰囲気と発話内容が大きく異なる方との会話は、あまり得意ではありません。(おそらく気を遣って言葉を選んでくださっているのではないかと思います)

また、音としては聞こえているので、短時間ながら頭の中に録音が残ります。その録音を二度、三度と再生することで、聞き取れなかった部分について、改めて聞き取る努力をすることができます。対面であれば録音が高音質なので、再生を聞いて理解できることがよくあります。

仮に十分に聞き取れなくても、要件がわかっている場合には、言葉のリズムから発話内容を推測できることが多いです。

対面の場合は、このような工夫をしながら会話しています。ですから、聞き取り能力以上に発話内容を理解できます。そのため、さらに誤解を招きやすくなっています。

電話の場合は、このような工夫の余地が少ないので、事務連絡など発話内容を推測しやすい場合に限定しています。日時や数字はできるだけ復唱して、聞き間違いを防ぐようにしています。 ご近所さんに用事があるときは、対面でお話するか、お手紙を投函するかのどちらかで、電話を使うことはほぼありません。


(3)幼な子の心

世の中には様々な症状な人がいて、様々な対策を講じながら暮らしていることと思います。

当然ながら、そのすべてを知り、理解することはできません。ですから、知らない症状を抱えているとは、ごまんといると思った方がよいと思います。また、理解を超えた症状の人も、ごまんといると思った方がよいと思います。

どんなに勉強しても宇宙のすべてを知り尽くすことはできないのと同じように、どんなに勉強してもすべての病気について知り尽くすことはできません。様々な障碍・症状についての勉強は大切ですが、それよりも、目の前にいる人の苦しみを感じ取ることのできる感性を磨くことの方がずっと大切ではないかと、このごろ思います。

また、何ができて何ができないかを読み取る能力もとても大切だと思います。意外なことができたり、意外なことができなかったりするのは、よくあることだと思うからです。できることは本人にまかせた方が幸せを感じてもらえると思いますし、できないことはお手伝いした方が幸せを感じてもらえると思うからでもあります。

経験的には、未就学の子どもたちはこれが得意なように思います。お友達によって、できることできないことが随分と違うからかもしれません。あるいは、頭で考えないで心で感じ取っているからかもしれません。

昔々はみんな未就学の子どもだったはずです。私もかつては未就学児童でした。子どもの頃の感性を呼び戻すことができたら、どんなにすばらしいだろうと思います。いつの日か、すべてがリセットされて幼な子の心を取り戻すことができるといいな…