法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

プログラミング作業を通した思考能力のリハビリの感想

今日も「昔取った杵柄」くんの遠縁あたりの作業をしました。

振り返ってみると、「あんなことができると面白いだろうなぁ」「こんなことができると面白いだろうなぁ」と思うことを、ひとつひとつ作ってきたように思います。取り組み始めたときには、どんな風にすれば実現すればさっぱりわからなくても、あちこちの技術資料にあたって、自分なりに理解して、人真似ではなく、自分なりに作るようにしてきました。そのために、試行錯誤を幾度も繰り返して、星の数ほど失敗を重ねました。その結果、自分なりに面白いものを作ることができています。ひとえに「昔取った杵柄」くんのおかげです。

ところが、いざ日常生活に戻ってみると、別の意味の失敗だらけです。思考能力も記憶能力もとても低いままだからです。例えば家事をしていても、どこまでやったかスポンと忘れることがよくありますし、やりかけたまま途中ですっかり忘れて放ったらかしにすることもあります。また、買物で顔見知りの店員さんから冗談を言われても、「聴覚情報処理障害」のような症状があるため十分には聞き取れず…(音としては聞こえてますが、言葉としては理解できないのです…)、わかったふりをして笑ってやり過ごすこともあります。

プログラミング作業を始めてからは、日常生活で思考や記憶が十分に働かなくなることが多くなりました。おそらく、プログラミング作業による脳の疲労の蓄積が一番の原因ではないかと思います。もうひとつあるとしたら、プログラミング作業で変性意識に入ったあと、日常生活に戻る際に意識状態を十分にこちらの世界に戻すことができてない場合があるかもしれません。

こうやって振り返ってみると、プログラミング作業を通した思考能力のリハビリは、プログラミング作業に関しては成功しているように思います。しかし、それ以外の分野への波及効果は今のところ限定的です。逆に疲労が蓄積して(あるいは変性意識から戻り切れなくて)、日常生活での失敗が多くなっているようにも思います。

結局、かつて慣れ親しんだ事柄に関連する能力は回復しやすい一方で、かつてサボっていた事柄に関する能力は回復しにくいのかもしれません。私の場合は、かつて慣れ親しんだプログラミング能力と文章作成能力は回復しやすい一方で、敬遠してサボっていた対話能力や家事能力は回復しにくいのは仕方のないことなのかもしれません(笑)