法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

何も考えてなくて、気分で選んでます、すみません

昨日は私の作文手順について書いてみましたが、今日は思考方法について書いてみます。

私は小学校の高学年頃から、考えるときに言葉を使わなくなりました。読んだり聞いたりしたことを頭の中で抽象的な何かに変換して、抽象的な状態のまま記憶したり考えたりしてました。そして、書いたり話たりする段階になってはじめて言葉に変換してました。言葉を使わない方が圧倒的に速く考えることができて便利でした。言葉を使わないで意味内容だけで考えるので、言葉遊びに陥らなくてすんだのも良かったと思います。しかし発症以来、この方法で考えることはできなくなりました。

今はどうやって考えているのか、自分でもよくわかりません。おそらく、こんな感じだと思います→「意識状態を○○にして、考えたいテーマに意識を集中すると△△が降りてくるので、よさげなところから降りてきたものかどうか判定して、よさげならそれを□□に持っていって言葉に変換して記憶する」「これを繰り返して、やがてピンとくるものが降りてきたら、それを採用する」。こんな感じですので、本当は何も考えてないんですよね…

いつの間にか判断基準も変わってきているように思います。世間的な意味での損得にはあまり興味がなくなって、己に資するもの(学びの多いもの)を選ぼうとしているような気がします。ですから世間的な物差しで見ると損を取ることが多いかもしれません。困った経験を通していろんなことを学ぼうとしているというか、これまでに積み上げてきた執着心を少しずつ削いでいるというか…。発症後は与生(与えられた人生)を生きているという感覚があるので、発症前とは生きる意味が何かと違ってるようです。

しかし、こんなこと書いても訳が分からないですよね。人様に説明するときは「何も考えてなくて、気分で選んでます、すみません」くらいがちょうどいいのかも(笑)