法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

リハビリの役割

先日から読んでいる技術分野の教科書を今日で読み終えました。概要程度しか知らない分野でしたが、雰囲気が分かれば何となく想像がつくので、その想像を検証する形で読み進めました。教科書のように入門者向けの内容であれば、多少抽象度が高くても何とか読めるようです。

技術的な本がある程度読めるようになった一方で、会計簿や伝票のように私にとって見慣れないものは、ちょっと眺めただけで脳が大きく疲労して、疲れが翌日まで残ることがよくあります。

このような違いがどうして現れるのか傍目には不可思議に見えるかもしれません。しかし、それぞれ脳のどの部分を使って作業しているかを分かっていただけると、納得していただけるのではないかと思います。同時に、私にとってリハビリがなぜ重要なのかも納得していただけるのではないかと思います。しかし、それを上手に説明することは簡単なことではなさそうです…


私は脳の病気の後遺症で、脳の一部に壊れて使えない部位があります。その部位は、発症前の脳の使い方ではとても重要な役割を担っていたようです。これまでの経験から推測すると、左脳と右脳を繋いでいる部位の一部ではないかと思っています。そこが大きなダメージを受けてしまったため、発症直後は何もできないに等しくなってしまったのだと思います。

私にとってのリハビリとは、脳の壊れて使えない部位に頼ることなく、脳内の生き残っている機能のみを使って同じことができるようにするための訓練です。これまでに大きな成果を上げているのは、読み書きやプログラミングなど、発症前に慣れ親しんでいたことばかりです。

これは推測ですが、かつて慣れ親しんでいたことは脳内に様々な回路がすでにできあがっているのではないかと思います。それを上手に利用することで、脳内の壊れて使えない部位に頼ることなく作業できるようになったのではないかと思います。リハビリを繰り返すことで、どんどん上手になっているのではないかと思います。ただし完璧に回復できている訳ではないので、「視野狭窄」ならぬ「思野狭窄」になっているのだと思います。

しかし、かつて慣れ親しんでいなかった作業については、脳内に専用回路が存在しないので、汎用的な方法で作業しようとするのだと思います。その結果、脳内の壊れて使えない部位を使おうとして、激しい疲労を招いてしまうのではないかと思います。慣れ親しんでなかった作業についても、脳内の壊れて使えない部位に頼らず作業できるようになるとよいのですが…、それは随分先のことかもしれません…

そのような訳で、傍目には「こんなに難しいことができるのに、こんな簡単なことができないなんて…」と呆れられてしまうのではないかと思います。あるいは「こんな難しいことができるのに、こんな簡単なことができない訳がない!プンプン!!」と思っておられる方もいらっしゃるかもしれません。どうもすみません。